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落ちこぼれの日記

歴史に意味はあるのか?

結局,大学時代も大学院の時代も解けなかった問いだったりする。多分今後も解けないだろう。いや,答えはもう決まっているのかも知れない。私にとって,私のような考え方からするかぎり,歴史に意味はない。意味のないことは分かっていながら,私にとってそれが好きなものだから,なんとか価値を付与したいと,そう思っているだけなのかも知れない。

価値があるのではないかと思って大学時代から大学院にかけて,大学院なんぞは相当延長してまでいろいろやってみたが,研究を進めれば進めるほど,歴史の研究は無価値だという結論に結びついていった。ただ私が好きだという点を除いて,歴史の研究に意味を見いだせなくなっていった。

私は学生や院生の時代,歴史の理論を研究していたわけではない。直に史料を目の前に置いて,その内容や意味を読み取るという,ある意味では最も古典的な研究をしていた。歴史研究の実際に手を染めず,歴史理論におぼれると,歴史の価値が分からなくなるなどとうそぶいていた人間もいたが,私の場合,歴史研究の実際に手を染めれば染めるほど,無価値なもののように思え,その思いが確信に変わっていった。いや,むしろ無価値だということを証明しようと研究し続けていたような気さえするのだから,救いのない話だ。

ちなみに私は普通の意味に於いて,歴史に価値がないとは思っていない。例えば,ある曲がり角で多くの自動車事故があったとする。事故多発という歴史があればこそ,その曲がり角の危険性が分かり,随って曲がり角に事故防止の処置を施すこともできるのである。そのような意味で,歴史に価値はあるというのならば,否定はしない。むしろ積極的に価値があると認めたい。

ちなみにその場合でも曲がり角と事故がほんとうに因果関係にあるのかは歴史によって証明できない。ただ現実的に正しいらしいような気がするだけである。もし現実的に曲がり角に何らかの処置を施して事故が起こらなくなったとしても,事故が起こらなくなったということが,曲がり角に事故の原因があったという証拠にはならない。処置が曲がり角の原因と直結していたか否かも判断が難しく,もしかすると処置によって曲がり角の危険性が減って事故がなくなったのではなく,処置によって事故の本統の原因(曲がり角の危険とは無関係の)が除かれた結果,事故がなくなったのかもしれない。あらゆる物証は,矛盾した表現になるが,物証によって証拠だてることはできない。あくまでも結論を導くための関係性に過ぎず,関係性そのものは断定に繋がらない。

それはともかく現実的に非常に卑近な意味に於いて,またごく一般の人間が歴史(過去)に思いをはせるような意味に於いて,歴史に価値があるというのは私も認めるところだが,所謂歴史学に代表される,学問としての,あるいは有用物として認められた歴史には,価値を見いだすことができない。

なるほど歴史は史料操作ではない,現在の日本や世界がなに故にこのようになっているのかを説明するために,歴史があるのだというのは,それを説明する学者にはもっともらしく思えているのかもしれないが,申し訳ないが私にはそれは全く無意味な発言に思える。なぜなら,そのような歴史は本来的に存在せず,あるのは現在だけだからだ。いや,そもそも人が知りたいのは,現在に至る過去の道ではなく,現在から未来への予測である。もしそこに歴史が必要ならば,その範囲においてのみ,歴史が必要だというだけだと思われる。

現在の歴史学が考究であり,過去のそれが低級であるとは,おそらくほとんどの学者の抱く感情だろう。しかしその偉大な現在の歴史学を知らぬ多くの過去の人間が,立派な功績を修めたのだ。ならば人間に歴史は必要ないという証ではないか。必要なのは説明の文句だけであって,人をだましおおせるのなら,間違った歴史だろうがなんだろうが構わないのではないのか?.....まあ極論すればこういうことになるし,私は現にそう思っている。歴史は詭弁だと思っている。

敢えて長々書いてみたが,恐らくこれを読んだ人は何を言いたいのか分からないだろう。それはそうだと思う。ここには私が歴史をどう思っているのかを書いていないのだから。でもこれは書くのも無意味なほど他愛もないことだ。私は歴史に,現実に人を助け,現実に世の中を改善する力を求めた。歴史を知ることで,直接人が救われ,世の中が正されることを求めた。直接的な力を求めたのだ。上の例で言えば,直接,事故をなくそうとしたのだ。もしある事柄を解明することが,直接,日本を守ることにでもなるというのなら,私は必死に研究しただろう。しかし私は歴史の研究が日本のため世界のためになるとは思えない。

書いてみると他愛もないことながら,案外,その他愛もないことが人間を動かしていると,私は思っている。他人の悩みは分からない。分かっても,悩みとは思えない。そんなものではないか。自分の悩みのなさを他人に押しつけられるくらいなら,自殺する人間などいないはずだ。

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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