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四庫未収書(春秋類)02

追記(2009/03/15):以下の翻訳はこちらのページ(別館:公孫樹内)に訳し直しました。

張洽『春秋集伝』19巻

○『宛委別蔵』所収

宋の張洽の撰。洽には『春秋集注』および「綱領」(*1)があり,既に『四庫全書』に収録されている。洽は朱子の門人で,『宋史』道学伝に立伝された。

『四庫全書総目提要』を拝読すると,「『集注』の遺本がわずかに伝わるのみで,その所謂『集伝』は散佚した」とある。本書は原二十六巻,元の延祐年間に李教授万敵が臨江路学に刊行し,洽の曾孫庭堅が校正したものである。巻首に宋の端平二年の繳省投進状が付されている。『経義考』には庭堅の後序があり,「副使の臧公は本路総府に通達し,『集伝』『沿革』(*2)の二書を学校にて刊行させた。しかし『集伝』は完成したものの,乱丁が激しく,文字の誤植もあった。癸丑の歳,江南諸道の行御史台は各路に通達し,春秋〔の解釈書に〕張主一の伝(*3)を用いさせた。延祐庚寅の歳,科挙復活の詔が下ったため,遠方の士大夫からも〔洽の書を〕求めるものが多く出てきた。そこで李広文が〔原刊本を〕補正して出版し,ようやく『集伝』は完全なものとなった」とある。惜しむべきは,この〔『宛委別蔵』の〕板本は巻十八から巻二十まで,巻二十三から巻二十六までの全七巻が欠落している。しかし全書の梗概を窺い知ることはまだ可能である。

例えば,魯公は王室に朝聘の礼を行わなかったと指摘し(*4),衆仲が楽について論じたことの失当については,劉氏の説に依拠しなければならず(*5),聖人が「初」を書したことについては,公羊伝と程氏の説を正当としなければならぬと指摘し(*6),また文公は〔みずから〕伯主に会礼を行わなかったために,晉の怒りを買ったと言い(*7),諸侯は国境を越えて親迎(*8)してはならぬと言って,穀梁が〔親迎を〕常事とすることの間違いを辨正している(*9)。ここからもよく諸家の長所を集めてこれを研究し,至当の解釈に落ち着けていることが分かる。もとより春秋を学ぶものが廃してはならぬものである。

『揅経室外集』巻2(四庫未収書提要)



(*1)「綱領」は『集注』(通志堂本)冒頭に付されている。
(*2)『沿革』は『歴代群県地理沿革表』のこと。佚書。
(*3)張主一は張洽のこと。「伝」は経典の注釈書を指す一般的な言葉で,その意味であれば『集注』か『集伝』のどちらかを指すことになる。しかし『集伝』の「伝」という意味にとれないこともないので,その意味だと『集伝』を指すことになる。
(*4)隠公3年武氏子来求賻条の張洽の論述。
(*5)隠公5年考仲子之宮初献六羽条の張洽の論述。劉氏は劉敞のこと。
(*6)同上。程氏は程頤のこと。
(*7)文公16年季孫行父会斉于陽穀斉侯弗及盟条の張洽の論述。
(*8)親迎とは,諸侯がみずから他の国に嫁さんをもらいに出かけること。宋代の理屈では,嫁さんをもらうために,自分の国を大臣に任せて,国君みずから他の国に出かけることなどあり得ない,とされる。ただしこの理屈を通すためには毛詩などとの整合性をはかる必要があり,苦労を強いられる。
(*9)荘公24年公如斉逆女条の張洽の論述。『集伝』によると,穀梁伝と胡氏伝ともに親迎を認めており,張洽は両者ともに批判している。

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