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四庫未収書(春秋類)07

追記(2009/03/15):以下の翻訳はこちらのページ(別館:公孫樹内)にまとめ直しました。

胡瑗『春秋口義』
孫覚『春秋経社要義』

(A)『書録解題』巻3(殿版)
『春秋口義』五巻
胡翼之(*1)の撰。〔本書の解釈は〕宣公十二年で終わっている。戴岷隠(*2)が湖州の学校で本書の続編を作ったが広まらなかった。



(*1)胡翼之は胡瑗のこと。翼之は胡瑗の字。
(*2)戴岷隠は戴溪のこと。

(A)『読書志』巻3(王先謙校補本)
『春秋経社』六巻
皇朝(*1)の孫覚の撰。覚の学問も啖助・趙匡から生まれ出たものである(*2)。〔本書は〕およそ四十余門。議論は頗る厳格である。

(B)『書録解題』巻3(殿版)
『春秋経社要義』六巻
龍図閣学士の高郵の孫覚莘老(*3)の撰。覚は胡安定(*4)に学問を受けた。〔瑗の〕門人は千をもって数え,門人の中でも老成のものを経社(*5)に集め〔て学問を施してい〕た。覚は最年少ながら,厳粛な態度でその中におり,人々を感服させた。本書はおそらくその時に作ったものだろう。



(*1)皇朝はここでは宋朝のこと。
(*2)啖助・趙匡と同系列の学問という意味。
(*3)莘老は孫覚の字。
(*4)胡安定は胡瑗のこと。安定は胡瑗の号。
(*5)経社はクラスの名前。胡瑗は自己の教授する学校を経義斎と治事斎の二組に分け,学徳ともに優れた人を経義に,役に立つ知識を求める人を治事に入れ,各々の性格に相応しい学問を授けていたとされる。ここでいう経社は経義斎のことと思われる。


両書とも胡瑗の学説を収めたものなので,便宜上一括して記すことにした。

胡瑗は北宋中頃の学者で,孫復と並び称せられる。思想史の教科書には,この二人に石介(孫復の弟子)を加えて「宋初の三先生」とか書かれている。この胡瑗と孫復は仲が悪く,性能も反対だったので,むかしから人柄の胡瑗,学問の孫復などと呼ばれている。

胡瑗はとかく教育や人格で聞こえた人なので,その学説はあまり貴ばれないが,それでも彼が程頤の先生であり,後々には朱熹が褒め称えたとあって,それなりに知名度がある。随って知名度につられて胡瑗の学説を引く学者もないではない。胡瑗の春秋関連の著書は散佚したが,まとまったものは杜諤の『会義』に発見できる。胡瑗の学説を知るには,『会義』や南宋元朝の経解類を繙くしかない。

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