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『春秋学入門』1-3

サイトの方に改訂版を公開しました。改訂済みの訳文は『春秋学綱要』と改題し、こちらサイト本館)にあります。なおブログ掲載の訳文は、煩瑣を避けるため、補注を削除しております。ご了承ください。
○最終更新日:2009/11/01

第一論文

(つづき)

〔賞罰説の誤謬〕

彼らは『春秋』の次のような特徴、即ち〔経文に〕名が書かるときもあれば字(あざな)が書かれることもあり、人と書かれる場合もあれば爵が書かれる場合もあり、あるときには氏を書かず、別のときには氏を書くというようなものを見て、こう言うのである。――「字や爵や氏を書くのは、聖人が褒めたからだ。名を書いたり、人と書いたり、氏を書かないのは、聖人が貶したからだ。褒めたから〔字や爵や氏を〕予(ゆる)し、貶したからそれらを奪ったのだ。予すとは、天子に代わって賞めたことを意味する。奪うとは、天子に代わって罰したことを意味する。天王が賞罰の権を執れなくなったので、聖人が代わりに賞罰の権を執ったのだ。いわゆる『徳あるものを彰らかにし、罪あるものを討つ』というもので、聖人みずからこの責に当たったのだ」と〔補11〕。

そもそも『春秋』は魯史である。夫子は匹夫(*9)である。〔諸侯の一つに過ぎない〕魯が天子の権を拝借し、〔孔子は〕匹夫でありながら天王の柄を操るという。これではたとえ道理のあることだと言ったみたところで、しかるべき位にいないと言わねばなるまい。夫子はもともと天下の諸侯が天子のごとく振る舞い、大夫が諸侯のごとく振る舞い、下位の者が上位の者のごとく振る舞い、卑しき者が尊き者のごとく振る舞うことを厭うて、『春秋』を作り、名分を正したのである。それなのにみずから同じ僭越な振る舞いをしておいて、どうやって天下を律するというのか。聖人は決してこのようことをすまい。そもそも是非は人の心に宿る共通の道理であり、位のあるなしに関わらず、だれでも発言できる。だから夫子は魯史を用いて、是非を明らかにしたのである。しかし賞罰は天王の権に属し、王の位になければ操ることはできない。だから夫子は魯史の中に賞罰の意を込めざるを得なかったのである(*10)。是非は道理に適っておればそれでよいが、賞罰は王の位が必要である。夫子に道はあったが、王の位はなかったのである〔補12〕。

またこのように言う人もいる。――「夫子が『春秋』を作ったのは、夫子一己のためではない。夫子は魯には理想的な存在になり得る資質があると考えた。そこで魯に〔褒貶賞罰の権を〕託し、天下の君主と大夫を律したのである。つまり賞すとは、一己の夫子が賞すという意味ではなく、魯が賞すという意味である。罰すとは、一己の夫子が罰すという意味ではなく、魯が罰すという意味である。魯は周公の後胤、聖人の末裔である(*11)。そこで天子〔校2〕自身は賞罰の権を操れぬというので、魯に委ねた。しかし魯でもそれを私できぬといって、周のやり方に従った。周の典礼は周公が作ったものである。周公の後胤が周公の典礼を執り、天下の君主と大夫を律する。――こういえば『春秋』の真意に近いのではないか。これこそ聖人の心である」と。

そもそも夫子は匹夫である。当然ながら天王の賞罰の権を勝手に操ることはできない。魯は諸侯の国である。どうして天王の賞罰の権を勝手に操ることができようか。魯は天王の賞罰の権を勝手に操れないのに、夫子はそれを魯に委ねたという。これでは夫子が実権を握りながら、その名だけは魯が引き受けることになる。夫子自身はあえて僭越な振る舞いをせず、かえって魯に僭越な振る舞うをさせるという。聖人は断じてそのようなことをするまい。学者の通弊として、聖人をありがたがる余り、道理の根本をわきまえず、このような発言をしてしまうのである。夫子を尊敬してのことであろうが、実際にはかえって貶めているのである。

また「『春秋』は三代の制度(*12)を兼ね備えたものだ」という人がいる。これは聖人が顔淵に告げた国の治め方――夏時・商輅・周冕・韶楽〔補13〕―― が実現せぬので、己の理想を『春秋』に託した、と言うのであろう。しかしこれらはすべて間違った考えである。この種の考え方は、天子の礼楽賞罰の権を、聖人が勝手に操ったとみなすところにある。そもそも四代の礼楽について孔子が顔淵に語ったのは、もし己の志がかない、天下に道が行われたなら、このようにすべきであろう、というだけのことである。なぜ王の位にもないのに、当時の史書を改修し、勝手に四代の礼楽制度に改めるだろうか。夫子は魯の人である。だから魯史を下敷きにしたのである。当時は周だった。だから当時の王の制度(*13)を用いたのである。これこそ聖人の大いなる御業である。「夫子は『春秋』を作り、礼楽賞罰の権を私し、当時の王の制度を改変し、三代の制度を兼ねた」などの発言は、聖人を無実の罪に陥れたものと言わざるを得ない。これは学問を志す人々が正しき道を学ばず、過ちを因襲してきたからである。正しき教えに害をなすこと甚だしいと言わねばならない。

〔小結〕

春秋を修める後学の徒は、まずもって夫子は礼楽賞罰の権を私しなかったこと知らねばならない。これが理解できて、やっと学者の諸説を破ることができる。そして学者の諸説を破ることができてこそ、夫子が『春秋』を作った理由と孟子の言う「天子の事」の意味が了解できるのである。

(第一論文了)

〔訳者注〕
(*9)匹夫‐平民を意味する言葉だが、孔子は魯の下級貴族である。低い身分の男という意味で用いたのであろう。
(*10)『本義』は「だから夫子は魯史の中に賞罰の意を込めることができなかったのである」とする。意味としては『本義』の方が明瞭だが、前後の文脈や学史上の位置を鑑みれば、恐らく底本が正しいだろう。
(*11)魯の初代君主は周公の息子の伯禽である。周公は聖人とされているので、魯の君主は聖人の末裔ということになる。
(*12)三代‐下文に鑑みるに、蓋し四代の誤。四代は虞(舜)・夏・商・周を指す。上の唐虞三代とほぼ同じ意味。
(*13)当時の王の制度‐「時王の制」などと称される。具体的には周王朝の制度を指す。

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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