スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

『春秋学入門』2-1

サイトの方に改訂版を公開しました。改訂済みの訳文は『春秋学綱要』と改題し、こちらサイト本館)にあります。なおブログ掲載の訳文は、煩瑣を避けるため、補注を削除しております。ご了承ください。
○最終更新日:2009/11/01

第二論文

日月の例と称謂の例


〔問題の所在〕

六経の真意が伝わらないのは、学者が無理な学説を立てるからである。そして春秋学は特にそれが甚だしい。その無理な学説は三伝から生まれたものだが、後世の学者はさらに無理をかさね、いかにも尤もらしく論じたてている。しかしその実、一つの事柄に対して、あるときは「これは聖人が褒めたのだ」と言いながら、別のところでは「これは聖人が貶したのだ」と言うなど、相互に矛盾するものがある。また同じ事柄に対して、前の経文には聖人が褒めたのだと言いながら、後ろの経文では聖人が貶したのだと言うなど、前後に矛盾するものがある。このような紛々たる議論のために、聖人の真意はますます分からなくなっている。しかし問題の本質は次の二点につきる。一つ目は日月によって褒貶を示したとする学説、二つ目は名称爵号によって褒貶を示したとする学説、これである〔補1〕。

彼らはこう言う。――同じ「盟」(*1)に対して、日を書く場合と書かない場合がある。「葬」〔校1〕は日を書くはずなのに、時(*2)を書く場合がある。「入」(*3)は日を書くはずなのに、月を書く場合がある等々。このような異なる書き方を見て、日月によって褒貶を示したとする学説が生まれるのである。またこう考える人もいる。――同じ国君に対して、「子」(*4)と書く場合もあれば、「侯」と書く場合もあり、「伯」と書く場合すらある。同じ夷狄(*5)に対しても、州名によって書く場合もあれば、国名を書く場合もあり、「人」と書く場合すらある(*6)。また同じ人間に対しても、前の経文では氏を書くのに、後ろの経文では名を書くなどの違いがある。これら経文の異なる書き方を見て、名称爵号によって褒貶を示したとする学説が生まれるのである。私はこの二つの学説を論駁したいと思う。

〔訳者注〕
(*1)盟・葬・入など鉤括弧内の言葉はいずれも春秋経文の言葉を指す。春秋学は経文の文字(意味・種類・数など)が議論の対象となるため、おおよその意味を察知できる漢字に対しては訳語を充てず、難読の部分のみ注釈に意味を添えた。
(*2)「時」は、春夏秋冬の四季のこと。一時と言えば、春夏秋冬のどれか一つを指す。二時と言えば、連続する二つの季節を指す。四時と言えば、四季の全てを指す。
(*3)君主が国外から国内に入ること。春秋経は、君主の入出国に対し、「帰」「復帰」「入」「復入」の特殊用語が用いる場合がある。経文に「入」が書かれるときは日を書く、という決まりがあるとする学説がある。
(*4)「子」は踰年改元前の君主に対して用いられる名称。一般に君主が死ぬと、後継者はすぐに改元せず、翌年をまって改元する。春秋経には、この改元前の後継者を「子」と書く規則があるとされる。
(*5)具体的には楚と呉と於越(越)を指す。
(*6)楚について論及したもの。楚の国ははじめ「荊(荊州)」なる文字で経文に現れ、ついで「楚(国名)」になり、最後に爵位(楚子。楚の子爵)が現れる。

総目次(ブログ)


スポンサーサイト

テーマ : 読書メモ
ジャンル : 本・雑誌

コメントの投稿

非公開コメント

カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
プロフィール

awatan

Author:awatan
HN:江藤清通
かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

自営サイト
最近の記事
カテゴリー
リンク集
全記事表示

全ての記事を表示する

FC2カウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。