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『春秋学入門』2-4

サイトの方に改訂版を公開しました。改訂済みの訳文は『春秋学綱要』と改題し、こちらサイト本館)にあります。なおブログ掲載の訳文は、煩瑣を避けるため、補注を削除しております。ご了承ください。
○最終更新日:2009/11/01

第二論文

(つづき)

〔日月称謂の意味〕

一般に春秋は事を日につなげ、日を月につなげ、月を時につなげている。一日で終わる事は日につなげ、一ヶ月で終わる事は月につなげ、一時で終わる事は時につなげている。だから朝・覲・蒐・狩・城・築・作・毀(*37)などは〔経文に時が書かれているが、それは〕すべて一時で終わるものだからである (*38)。会・遇・平・如・来・至・侵・伐・圍・取・救・次・遷・戌〔校2〕・襲・奔・叛・執・放・水・旱・雨・雹・氷(*39)・雪・彗孛(*40)・螽・螟などは〔経文に時や月が書かれているが、それは〕一ヶ月で終わるものもあれば、一時〔校3〕で終わるものもあるからである。崩・薨・卒・弑・葬、郊廟の祭り、盟・戦〔校4〕・敗・入・滅・獲・日食・星変・山崩・地震・火〔校5〕・災などは〔経文に日が書かれているが、それは〕一日で終わるものだからである。

なるほど経文には月を書くべきところに月が書かれず、日を書くべきところに日が書かれていない場合がある。これらはいずれも魯史に記録がなかったからである。たとえば某事に対して月を書くべきなのに、魯史に時だけが書かれていた場合、また某事に対して日を書くべきなのに、魯史に月だけが書かれていた場合、聖人は勝手に日を書き加えるだろうか。これこそ春秋が日月を例としない証拠である(*41)。

春秋は事を直書するだけで、その善悪はおのずと明らかになっている。名称爵号はその名称爵号に従うだけで、その是非善悪は経文に現れている。名を書くものすべてが貶されているわけでも、字を書かくものすべてが褒められたわけでもない。もし某と某とに褒めるべきことがあるのに、魯史に名前しか残っていなかった場合、あるいは某と某とに貶すべきところがあるのに、魯史に字しか残っていなかった場合、聖人は列国を走り回り、彼らの名と字を探し出してから、経文に書いたというのだろうか。これこそ春秋が名称爵号によって褒貶を示さない証拠である。

〔訳者注〕
(*37)いずれも経文に見える事柄。
(*38)経文に照らして考えると、月を書くものが多く、学説に矛盾がある。
(*39)「氷」は経文に存在しない。恐らく「冰」のことであろう。
(*40)「彗孛」は経文に存在しない。恐らく「星孛」のことであろう。
(*41)「日月を例としない」とは、上文の「日月によって褒貶を示す」と同義。詳しくは〔補注1〕を参照。

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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