スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

『春秋学入門』2-5

サイトの方に改訂版を公開しました。改訂済みの訳文は『春秋学綱要』と改題し、こちらサイト本館)にあります。なおブログ掲載の訳文は、煩瑣を避けるため、補注を削除しております。ご了承ください。
○最終更新日:2009/11/01

第二論文

(つづき)

〔事実の把握〕

しかし経文に書かれた月日の前後で、その是非を知ることや、名称爵号の異同によって、その事実を知ることは、あり得ることである。しかし聖人はそれらによって褒貶を発したわけではない。

例えば、荘公三十一年の「春、台を郎に築く」、「夏、台を薛に築く」、「秋、台を秦に築く」、三十二年の「春、小穀に城く」を見れば、わずか三時の間に大規模な土木工事を何度も起こしたことが分かる。また宣十五年の「秋、螽あり」、「冬、蝝 生ず」を見れば、二時にわたって災害が起こったことが分かる。また荘公八年の「春、師 郎に次す」、「夏、師 斉師と郕を圍む」、「秋、師 還る」を見れば、三時にわたって国外に派兵していたことが分かる。これらは時が書かれているために分かることである。

また桓公二年の「秋、七月、杞侯 来朝す」、「九月、杞に入る」を見れば、〔杞侯が〕来朝して一ヶ月ばかりで、杞に派兵したことが分かる。昭公七年の「三月、公 楚に如く」、「九月、公 楚より至る」を見れば、夷狄の国に朝したとき、七ヶ月もの久しきにわたり労苦を強いられたことが分かる。僖公二年の「冬十月、雨ふらず」、三年の「春、王正月、雨ふらず」、「夏、四月、雨ふらず」、「六月、雨ふる」を見れば、九ヶ月にしてようやく雨が降ったことが分かる。これらは月が書かれてあるために分かることである。

〔隠公九年の三月〕「癸酉、大雨あり、震電す」、「庚辰、大いに雪ふる」を見れば、八日の間に二度も天変のあったことが分かる。〔隠公十年の六月〕「辛未、郜を取る。辛巳、防を取る」を見れば、わずか十日あまりで二つの邑を取ったことが分かる。〔桓公十四年の秋八月〕「壬申、御廩に災あり」、「乙亥、嘗す」を見れば、災のさめやらぬ間に嘗の祭りを行った不敬を知ることができる。〔宣公八年の冬十月〕「己丑、敬嬴を葬る」、「庚寅にして克く葬る」を見れば、翌日(*42)にしてようやく葬っており、ここから葬儀の備えのなかったことが分かる。〔成公三年の冬十一月〕「丙午、荀庚と盟し」、「丁未、孫良夫と盟す」を見れば、魯の人が晉を先にし、衛を後回しにしたことが分かる。〔襄公三年の六月〕「己未、雞澤に同盟し」、「戊寅、陳の袁僑と盟す」を見れば、晉の人は諸侯と盟を行った後で、大夫と盟を行ったことが分かる。これらは日が書かれてあるために分かることである。しかしここから聖人は日月の有無に褒貶を寓したと考えるのは誤りである。

〔訳者注〕
(*42)己丑の翌日は庚寅になる。

総目次(ブログ)

スポンサーサイト

テーマ : 読書メモ
ジャンル : 本・雑誌

コメントの投稿

非公開コメント

カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
プロフィール

awatan

Author:awatan
HN:江藤清通
かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

自営サイト
最近の記事
カテゴリー
リンク集
全記事表示

全ての記事を表示する

FC2カウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。