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『春秋学入門』3-2

サイトの方に改訂版を公開しました。改訂済みの訳文は『春秋学綱要』と改題し、こちらサイト本館)にあります。なおブログ掲載の訳文は、煩瑣を避けるため、補注を削除しております。ご了承ください。
○最終更新日:2009/11/01

第三論文

(つづき)

〔具体例〕

〔経文「元年春王正月」の〕「元年春正月」は旧史の文である。「王」の字は、聖人が筆したものである〔補1〕。中国の諸侯の中で、〔夷狄である〕呉や楚の君主の葬に参加したものがいる。しかし呉や楚の君主に対しては葬を書かない。これは聖人が〔旧史から〕削ったのである。晉侯が王をよびつけたことは左氏伝に記されているが、聖人はこれを「狩す」と書いている〔補2〕。こうすることで天下の大義を守ったのである。殖がその主君を放逐したことは諸侯の策書に記録がある。しかし聖人はこれを「衛侯、出奔す」と書いている〔補3〕。これによって君主の訓戒を示したのである。

ただ「仲子」とだけ書かずに「恵公仲子」(隠1)と書き、ただ「成風」とだけ書かずに「僖公成風」(文9)と書くこと〔補4〕、「陳黄」と書かずに「陳侯の弟黄」(襄20,23)と書き、「衛縶」と書かずに「衛侯の兄縶」(昭20)と書くこと(*3)、陽虎は陪臣であるから〔名を削って〕〕「盗」と書き直すこと(*4)、呉や楚の僭称していた王号は「子」と書き直すこと(*5)、糾には「斉」を書かずに小白には「斉」を書き、突には「鄭」を書かずに忽には「鄭」を書くこと〔補5〕、〔衛人が公子〕晉を立てたときには「衛人 立つ」と書き、王子朝に対しては尹氏〔立つ〕を書くこと〔補6〕等々。これらは全て聖人の特筆である。だから「その事は則ち斉桓晉文、その文は則ち史、その義は則ち丘 窃かに之を取る」(*6)と言うのである。

達例を用い、旧史に手を加えないこと――これが聖人の公心(*7)である。特筆を用い、是非を明らかにすること――これが聖人の精義(*8)である。達例を用いる部分は、聖人でなければできないものではなく、門人や高弟であっても可能である。しかし精義の係わるところは、たとえ門人や高弟であっても、決して一言も発することはできないだろう。聖人でなければできないのである。春秋を学ぶものは、どこが春秋の達例なのか、どこが聖人の特筆なのかを見極めなければ、春秋を理解できない。

〔訳者注〕
(*3)僖公成風と同様、特別な書式で所属を記したもの。本文の叙述からすれば、諸侯の兄弟が経文に書かれる場合は、「某国某」(衛縶)と書かれるのに、特別に「某爵之兄」「某爵之弟」と書く場合がある。これらには聖人の特別な意味が込められているのだ、という意味であろう。
(*4)定公8年の「盗竊寶玉、大弓」を指す。陽虎は『論語』にも登場する季孫氏の臣下で、魯の君主からすれば、臣下の臣下となる(これを陪臣という)。『或問』巻18盗殺衛縶条に「凡そ盗と書す者は、微者の名字、経に著さざればなり」とあるように、人物を書く場合、王・君主・大夫以下の身分の人間の名は、例え「盗」の具体的名字が分かっていても、経文に名をあげない。
(*5)呉や楚は王号を称していた。しかし呉や楚は、周の爵位では子爵にあたる。そこで孔子は、呉王や楚王の王号を削り、呉子や楚子というように周の爵位を書いた、という意味になる。
(*6)『孟子』離婁下の言葉。春秋に書かれたことは斉の桓公や晉の文公のこと、春秋の書き方は史書の方法による。しかしその大義は私(孔丘)が取り持った、という意味。
(*7)公心。分を越えない心遣いという程度の意味と思われる。
(*8)精義。細かな心遣いという程度の意味と思われる。

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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