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雑感二則

『春秋学入門』も第三論文まで終わったので,あとは二論文を残すのみとなった。とはいえ,本書の山は第四論文にあるので,あと一論文はどうしても終わらせておきたい。誰も読んでいたいとは思うけど。

それはそうと最近ふとしたことから遊佐木斎の『神儒問答』を読んでいた。例の平泉氏の名前で戦前に出版された『日本学叢書』の1冊である。普通の人は『日本学叢書』で読まなくても,岩波の『日本思想大系』の室鳩巣の巻に附録として収録されているので,そちらをお読みになったら宜しいと思う。

『神儒問答』の内容は別に解説している人もいるだろうからそちらに譲るとして,要するにこの本は,遊佐木斎と室鳩巣が神道と朱子学をどのように捉えるべきかをめぐって争った三通の書簡である(遊佐氏側のみ。岩波のには室氏のも入っている)。

私がこれを読んでちょっと新鮮に感じたのは,遊佐氏の言葉遣いである。自身の信念や主張を曲げることなく,ハキハキと論じて一歩も譲らないが,その口調(言葉遣い)に粗暴なところはなく,室氏に対しても礼節を欠くところがない。当たり前だと思われるかも知れないが,実際問題,自己の所信を開陳する場合,このようなゆったりとした気象にはなかなか成れるものではない。もちろんこれは遊佐氏が学徳を積んだ人物であったがゆえに可能であったことであろう。

私も大学院で研究していたころには,思想研究の価値は,過去の思想家から深淵な哲理をつかみ取ることだと思っていたが,ほとんど研究から離れてしまった現在となっては,むしろ遊佐氏のゆったりした気象は素晴らしい,などというすこぶる卑近なものに価値を感じるようになった。あるいはこのような論争のやり方や気象を学び伝えることが,思想研究の研究の重要な役目ではないか,少なくともその役目の一つではないかと思うようになった。

わずか数年前の話なのに,やむを得ぬ環境に置かれると人間かわってしまうものなのかね。ただ歪んだ性格だけは変わらないので,たぶんこの歪みが私の本性なのだろう。


ちなみに遊佐氏の態度は立派だが思想は浅いというつもりはないので。念のため。私は,遊佐木斎というと,平重道氏の研究を思い出す。特に留守希斎(遊佐木斎と三宅尚斎の弟子)を論じた論文で,遊佐氏に言及したときの平氏の発言には心打たれるものがあった。いま論文であの手の書き方をすれば,逆に悪評を蒙りそうだが,いまの私はむしろそのような平氏の研究に,遊佐木斎と同じ感動を覚えている(どうでもいいが,平先生の本は値段が高くて買えん)。

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