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『秦山集』を読む(4)

(追記:2010/02/06)
南学・秦山・崎門関係の記事はサイトの方に改訂整理しました。以下は拍手をいただいた記念に残しておきますが、間違いは訂正していません。
(以上、追記終わり)

今回は『庚辛録』と『壬癸録』の2つ。『庚辛録』は『秦山集』31と32の2つで,『土佐國群書類従』の『秦山随筆』5と6に相当する。『壬癸録』は同33~41を占め,『甲乙録』に次ぐ大部の著述である。『壬癸録』は『秦山随筆』未収録である。

まず『庚辛録』。

執筆年代は判然としないが,2に次男を失った最晩年の記述が見えることから,秦山最末年の記録を含むものである。内容は経史子集にわたり幅広く論述した随筆的書物だが,分量的には史に関するものが多い。特に2は明代の歴史について論ずること多きに渡っている。

2の11条目(羅氏閑居之楽云々)に秦山の自叙伝的記述があり,ひときは興味を引く。紹介してもいいのだが,たしか『朱子学大系』の秦山の部に収録されていたように記憶するので,ここでは敢えて引用しない。興味のある人は『朱子学大系』で読んでいただきたい。専門家の筆になるはずだから,その方が安全だろう。その他,『庚辛録』に取り立てて興味を覚えるものはなかった。

秦山の歴史論にはあまり深みを感じられない。理由は簡単で,彼の判断根拠が明白過ぎるからである。秦山は歴史を論評するとき,往々にして「君臣関係は絶対」だから「死節を守ったのは立派」or「臣節を尽くせなかったのは間違い」と断定する。あるいは「天皇に随った」だから「正しい」or「刃向かった」だから「間違い」という二者択一的な判断が目立つ。だから一つ二つの議論を読めばもうそれで秦山の言い分は理解でき,それ以上のものを得られない。簡単に言うと,単調な感じを受ける。

もちろんこれは秦山の歴史論が一貫したものであった証拠でもあり得る。秦山の誠実な人柄を思うとき,その断定に力強さを感じもする。しかし歴史論というものは,一貫した価値観や視点による断定を必要とする反面,千変万化する事象そのものをも捉えなければならない。当時に於いて,当然こうあるべき視点からの断罪とともに,登場人物達のやむを得ざるところの軌跡を追う必要がある。低俗な言葉を使えば,普遍と具体の両面を備えて論じなければ,読み手が飽きてしまう。もちろんこれは「言うは易く行うは難し」というものだが,読み手(私)はそういう理不尽なものを求めるのである。だから秦山の場合はその性格が歴史論に災いしたように見える。

つぎに『壬癸録』。

『秦山集』の随筆的記述はこれで終わりになる。『甲乙録』が神道関係の記述,それ以下が経史子集にわたる全般的な随筆だとすると,この『壬癸録』は天文に関する記述のみを集めた特殊な塊である。

江戸の天文学が秦山の学問の重要な一部であることは明白だが,遺憾なことに私の天文に関する知識は絶無なので,ここでは表面的な感想だけ備忘録として残しておく。ちなみに秦山その人は自己の天文学に対して次のように述べている。

予 『壬癸録』を草し,暦術の浅き者を載す。窃かに読者の笑となることを羞ず。頃ごろ『輟耕録』を読む。亦 授時の暦術を載す。其の法 疎膚愈々甚だし。乃ち前輩も亦 此の好み有ることを知るなり。蓋し星暦の学,盤錯肯綮たり。其の万一を録して,以て諸を同嗜に貽すこと,必ずしも過ちと為さざるなり。(『庚辛録』2)


『壬癸録』各冊の編纂主旨。

(1)都翁(渋川春海)からの聞き書き。

以下,姓名を冠さざる者,皆 諸を都翁に聞く所。(第1条自注。都翁は春海のこと)


(2)秦山の天文暦数についての発言。「柳,赤積四十四度,黄道四十一下云々」など,度数が具体的に列挙されている。

重遠謂う,頒暦日月食は日用通行の算なり。布算繁多,悉く記すこと能わず。今 粗ぼ平時に用いざる者を左に録す。(第1条)


(3)特に総論めいたものは見あたらない。全体的に天文暦数の知見や故事を箇条書きにしたような印象を受ける。ただし(2)のような度数の列挙はない。

(4)渋川春海との貞享暦に関する問答をまとめたもの。

重遠謂う,以下 貞享暦の次第に就き,師伝を録す。浅きもの有り深きもの有るも,敢えては私に之を略さず。元禄丙子以来,此の書を筆談す。宝永甲申,面あたりに口訣を授かる。前後九年の問答を取会するも,必ずしも年に繋けざるなり。(第一条の自注)


(5)~(7)総論なし。(4)の続きと思われる。

(8)秦山の天文暦数に関する見解をまとめたもの。冒頭に「此の巻,皆 重遠の測考なり」と注記がある。星の運行を記したものだが,天人相関的な理論を展開するところもある。

(9)総論なし。『皇明通紀』『通鑑綱目』から天変に関する記述を集めたもの。最終条に貞享暦の冬至加時と黄道日度に関する議論がある。

秦山が天人相関説を説くのには驚いたが,なにぶん私に天文学の知識がないので,その得失について論ずることはできない。具体例を1つだけ挙げておく。

秦王猛伐燕。申胤歎曰:鄴必亡矣。然越得歳而呉伐之,卒受其禍。今福徳在燕。秦雖得志,而燕之復建,不過一紀耳。懲録載:萬暦壬辰春夏間,歳星守尾箕,乃燕分,而自古言我国与燕同分。時賊兵日逼,人心洶懼,不知所出。一日下教曰:「福星方在我国,賊不足畏。」蓋聖意欲仮此以鎮人心故也。然是後都城雖失,而卒能恢復旧物,旋軫旧京,賊酋秀吉又不能終逞凶逆而自斃。斯豈偶然哉。蓋莫非天也。重遠謂:此二占何其審也。史之有占,其不可誣如此乎。然晉安帝義五年,歳星在斉,而劉裕滅之。此占不応。如何。天豈可以一端談哉。(『壬癸録』8の第1条)


要するに,『壬癸録』は大きく分けると(1)秦山の師・渋川春海の言葉を残したもの,(2)秦山の天文学に関する知見,(3)貞享暦をめぐる春海と秦山の問答,(4)天変を歴史書からまとめたものの4つに分けられる。江戸の天文学から見れば面白い資料なのだろうが,私には使いこなせそうにない。

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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