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『秦山集』を読む(5)

(追記:2010/02/06)
南学・秦山・崎門関係の記事はサイトの方に改訂整理しました。以下は拍手をいただいた記念に残しておきますが、間違いは訂正していません。
(以上、追記終わり)

『秦山集』42以下には序跋などの雑文が集められている。もともと序文や跋文,記や銘などは,目的があって書かれるものである。だから歴史研究をするならいざ知らず,秦山の思想をうかがう適切な資料とは言い難い。随って以下には収録文章の目録を挙げることにする。

『秦山集』42/序
○炳丹録序
漢代から明代に至る忠臣義士の事跡をまとめたもの。貞享3年の作。秦山の名文として知られる。
○兵器図攷序
百百直廉の『兵器図攷』に与えた序文。書名の通り,兵器に関する書物だったらしい。元禄辛未(4年)の作。
○贈剣匠山口国益序
土佐国の剣匠の山口国益に贈った序文。元禄辛巳(14年)の作。「予(秦山) 窃かに神代の学に志すこと有り」とある。
○送竹内常成市原辰中序
竹内には「竹の内」と送りがなが振ってある。秦山の友人2人が参宮するのを送ったもの。元禄14年の作。神道関係の序文。
○海浜舟行図後序
摂津の隠士・衣斐玄水の『海浜舟行図』の後序。宝永4年の作。
○広恵簿序
宝永4年の土佐の大地震にまつわる話し。正徳3年の作。なんでもかんでも君臣関係の話に持ち込むのが面白い。
○俗説贅辨序
井沢長秀の『俗説辨』等に触発されてまとめたもの。末尾に贅言を加えたから「贅辨」というと云う。正徳4年の作。
○儒門事親序
「代馬詰敬親」とあり,代筆である。
○俗説贅辨続編引
先の『続説贅辨』の後に「帝皇・人倫・為学の談に関わる者数十条」を加えたもの。享保戊戌(3年)の作。

『秦山集』43/題跋
○跋文山泌園春(享保元年)
○跋谷氏族譜(貞享2年)
○跋名語記(貞享4年)
○跋安芸氏所撰後醍醐帝還幸京師属太子於新田義貞使帥諸衛北行当此時随駕赴京乎従太子北向乎之論
「恒実が論 之を得たり。文天祥 言あり。懐愍に従いて北する者 忠に非ず。元帝に従う者を忠と為す。徽欽に従いて北する者は忠に非ず。高宗に従う者を忠と為す。斯の語 以て千古の疑を破るべし。丁卯六月四日跋」が全文。丁卯は貞享4年。
○跋靖献遺言(貞享4年)
○跋私本朱子行状(貞享4年)
私本である理由は書かれていない。朱子行状を読んで感じることがあったので,跋文を書いたようである。
○跋美代重勝蔵竹渓院草書(貞享4年)
○跋美代重勝蔵湯浅治斎草書(元禄1年)
○跋朱易衍義(元禄4年)
○跋大学衍義補(元禄4年)
○跋拘幽操(元禄5年)
一節に「原るに夫れ本朝神皇の正統,君は則ち瓊瓊樽尊の神孫,臣は則ち天児屋命の公孫。相与に大神宮の神勅を崇守し,左を左とし,右を右とし,億万歳に亘りて一日の如し。豈に匈奴の父を殺し,漢国の君を殺すの俗と年を同じくして語るべけんや。此れ固より以て夫の天下に不是底の君無きの実を験すべきに足りて,凡そ外国の書 君臣を論じて其の邦の私言に出る者,皆 当に辨ぜずして明らかなるべし」とある。
○跋責沈箚記(元禄5年)
○跋氏族弁証
著作年がない。前後を推して,元禄5年から元禄9年までの作。
○書元亨釈書王臣伝後(元禄9年)
天文を交えて諸国を論じたもの。秦山尊王の精神を発揚したものとして名高い。
○跋幼科新義(宝永4年)
本文が『秦山集』14に見える。馬詰敬親の仮名文を秦山が漢文に直したもので,小児科に関する著作。
○跋丁亥七曜暦(宝永4年)
○書西山遺事後(宝永7年)
○跋越後騒動記(正徳4年)
天人相関説にかかわる話し。
○跋儒門事親(正徳6年=享保1年)
○跋幼科新義(正徳6年=享保1年)
以上の2つは馬詰敬親の著述に対するもの。下は代筆。
○跋園太暦(享保2年)
○跋古事談(享保2年)
○跋梅松論(享保3年)
『梅松論』を批判したもの。
○跋常陸国誌(享保3年)
○跋出雲風土記(享保3年)

『秦山集』44/記
○三谷暦景亭記(貞享3年)
○弄月記(元禄5年)
○筑波石記(宝永3年)
○土佐国安芸郡白浜五社明神社記(寛文9年)
代筆。

『秦山集』45/賛・銘・箴
○新田左中将画蔵賛(元禄5年)
○渾天儀銘(元禄8年)
○五箴
不息於誠・懲怒・窒慾・遷善・改過の5つに戒めを書いたもの。

『秦山集』46/墓誌
○先考谷処士壙記
父親の墓誌銘。
○夫人酒井氏墓誌銘(元禄15年)

『秦山集』47/祝詞
○奉告伊勢内外宮祝詞(元禄16年)
○又(宝永1年)
○土佐国高岡郡日下郷二宮小村大天神社造替勧縁疏(宝永2年)

『秦山集』48/祭文
○祭乾矩庸文(貞享1年)
○祭屋代元久文(元禄7年)
○祭野中継善文(元禄11年)
継善は野中兼山の子息。
○祭安東郷東文(宝永1年)
○祭傍士正直文(宝永2年)
○祭市原辰中文(宝永2年)
○祭高橋充良文(宝永6年)
○祭池敬之文(正徳1年)
○祭渋川昔尹文(正徳5年)
○祭渋川先生文(正徳5年)
最後の2つは渋川春海に対するもの。

『秦山集』49/譜
○谷氏族譜
谷氏の族譜を論じたもので,最後に表を付す。正徳2年の谷垣守元服の記述で終わる。

以上で『秦山集』は終わり。49の次に秦山の長男・垣守の「書家蔵秦山集後」(享保13年)を付し,明治時代の印刷本はさらに松本豊多の「秦山先生小伝」(明治43年)を加え,本書印刷の顛末を述べる。いずれも原漢文。

書家蔵秦山集後

秦山集四十九巻,序目と合緘すること,二十三冊。先大人 終身自ら集録したまふ所にして,手沢 猶 新たなり。末梢 将に櫻に鏤み以て諸を無窮に伝へんとするも,宿志 未だ遂げず,奄忽として世を即きたまふ。遺憾万万なり。児 不肖,未だ其の事を述ぶること能わず。姑く之を装束し,異日の成功を期す。文字の改削,格内に在る者は,浄写に及ばず。或いは総格の外に出ずる者も,亦 其の紙を反折し,旧に依りて之を存す。但 遺文に於いては,則ち已むを得ず補入す焉。蓋し先大人の筆跡,片言隻字と雖も,復た得べからず。故を以て尊崇愛護の余,之を損敗するに忍びず。蔵して以て貽厥の家珍と為す。且つ後世子孫 学を好む者の軌範に備ふとしか云う爾。

享保十三年戊申三月中澣

嗣子谷丹四郎垣守謹識


松本氏の識語の最後に,本書編纂の動機を記して次のようにいう。

蓋し先生(秦山)の志業は,当時に屈して,後世に伸ぶ。偉なりと謂うべし矣。著す所の書某某,皆 子爵干城君の家に蔵む。子爵の秦山集を刻するに,豊多に嘱して,之を謄写し,之を挍正し,且つ先生の小伝を為して其の後に繋げしむ。豊多 不敏不文,其の伝を為んこと素より其の人に非ず。然れども豊多 子爵の眷顧を蒙ること,此に三十余年,義 辞すべからざる者有り。謹みて其の梗概を叙べて上ると云ふ。


本書奥付は「明治四十三年十二月二十日印刷。同二十七日発行。著作者「故 秦山 谷重遠」,発行者「子孫 子爵 谷干城」。印刷者は沢村則辰,印刷所は成章堂。


なお「『秦山集』を読む」はあと2~3回続ける予定です。

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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