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更新記録

さきほど「王安石変法(3)」が終わった。いや,終わらせたといった方がいいか。

久しぶりに王安石の新法を読んだ。が,なんというか,改めて読んでみると,これでは変法も失敗するだろうなぁ。あれを成功させようと思えば,近代国家の官僚制度を導入しないと無理だろう。でも近代国家の官僚制は近代国家だから生まれたわけだから,近代国家でもない宋代にあるわけもなし,存在する必要もない。だったら新法もうまくいかないのは自明の理。

物事の成敗(成功と失敗)を考える場合,目的が明確でないといけない。目的もなく成敗は語れない。では王安石の新法の目的は何だったのだろうか。これは難しい問題だが,(1)人々が豊かな生活を送れる世の中を作ること,(2)富国強兵,(3)当面の財政難を救う,の3つくらいが思いつく。この中,(1)は未だかつて人類史上出現したことのない政治だから除外する。

では(2)はどうか。これも富国強兵の程度によって判断が分かれる。漢や唐や清のような強国を求めるなら,王安石の改革など笑い話に過ぎない。もう少しレベルを落としても,あまり芳しい話しは聞かない。せいぜい「がんばったで賞」がもらえる程度だろう。では(3)か?

王安石の改革というと,私などは財政難の救済しか思いつかない。それ以外は保甲法が思いも寄らぬ方向で発展したことくらいで(これも善かったのか悪かったのか甚だしく微妙な成果だが),その他の新法は軒並み失敗した。ただ民衆から税金を搾り取って,赤字だらけの国庫を潤沢な税金で埋めたことだけは,多くの人間の認めるところである。王安石の理想や理念なんてどうでもいい。結果として残ったのは,この豊かな国庫だった。そして神宗さんがこの金を使って戦争しまくり,土木工事をぼこぼこ起こしたのは周知の事実だ。

もちろん「王安石は正しかった,その一味が駄目だった,反対派が駄目だったのだ」とは言える。が,そもそも政治は成功するから意味があるのであって,「理念は高いが実際は失敗した」政治でいいなら,最近の日本の政治と同断。どんな政治家でも,自分の思い通りに世の中が動いてくれるなら,理想高い政治を行うものだ。

というわけで,もし王安石が(1)とか(2)を目的に法(ここでの法は国体のようなもの)を変えようと思ったなら,すべて失敗したというのが妥当だろう。(3)ならほぼ成功したというところか。

まあ私は宋代の人間が苦しもうが死のうが知ったことではない。すでに過去の話だからだ。900年近くも前に私の親戚や友人が暮らしていたわけでも,親戚や友人の子供や孫が生きていたわけでもない。悪いが私は歴史書の記述にいちいち憐憫の情を起こすほど暇人ではない。とはいえ今を生きる人間として過去を読むならば,つまり過去の事実をつかみ取ろうとするのではなく,自分に即して過去を読むならば,またおのずから別の赴きもある。

人間世界,強い者が勝ち,弱い者は虐げられる。これは自明の理で,とりたてて説明する必要のないものである。そしてこれがけしからんと思って,弱い者が強い者になろうとするのも自明の理ならば,万に一(よりも確率は低いと思うが)にも弱い者が強い者になれば,また昔日の強い者と同じように,かつての弱き者がいまの弱き者を虐げる。これもまた自明の理。考えても詮無きことだが,それでも別途幸福の道を考えるのもまた人間の姿。この無限の循環を断ち切ろうとするのもまた人間。

王安石の新法は北宋政治史最大の悲喜劇だが,悲しみと喜び以上にむなしさが漂っている気がしてならない。とはいえ,私はこのむなしさが好きで党争を調べているのだから,人の悪い話しではある。

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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