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『秦山集』を読む(6)

(追記:2010/02/06)
南学・秦山・崎門関係の記事はサイトの方に改訂整理しました。以下は拍手をいただいた記念に残しておきますが、間違いは訂正していません。
(以上、追記終わり)

ちょっと間があいてしまった。『秦山集』を読むの第6回目。今回は『甲乙録』を取り上げる。

『甲乙録』1~12は,『秦山集』15~26に収録されており,1~8と9以下に大別される。まず『甲乙録』1~8は秦山が渋川春海らから聞き取った言葉を集めたもので,9以下は秦山独自の発見を収めている。

『甲乙録』1の第1条に:

重遠曰く,予 神道を渋川先生及び荒木田経晃神主に学ぶ。其の神代巻・中臣祓に関わること有る者は,既に之を二書に注す。其の他 書批の間,言 神道に及ぶ者,具に此に録す。其の姓氏を冠せざる者は,皆 渋川先生の言なり。



第6条の秦山自注に:

重遠謂う,渋川翁と講論する所 多端。其の神道に関わらざる者も亦 多し。今 悉く録し,『甲乙禄』に入る者は,蓋し其の講習の年月次第,記識に備へんと欲すればなり。他 皆 此に倣ふ。



『甲乙録』8の最終条の自注に:

以上,丙戌に聞く所。丁亥初夏,罪を以て籠居し,書問を絶つ。十月廿六日甲辰,以上数冊を録す。



とある。秦山が渋川春海に書問を送ったのが元禄7年32歳であり,罪を得て禁錮せられたのが宝永4年(丁亥)45歳であるから,秦山壮年のころの研究成果をまとめたものであることが分かる。

秦山自身が指摘するように,『甲乙録』1~8は渋川春海との神道及びその他もろもろの事項を論じたものである。ただし『神代巻塩土伝』『中臣祓塩土伝』の二書に注解を施した部分については,『甲乙録』から省いたようである。『甲乙録』1~8は『土佐國群書類従』に収録されており,その解説もあるので,ここでは内容に立ち入った紹介はしない。

次に『甲乙録』9以下であるが,これは同巻第1条自注に「此の冊以下,重遠の私考及び諸家に聞く所を雑記す」とある。内容は神道に関するものがほとんどで,神様の考証や神社の研究の占める比重が大きい。

2つほど例文を引くと:

成務天皇の時,建内宿禰 大臣と為り,大国小国の国造を定賜し,亦 国国の堺,及び大県小県の県主を定賜す。其の功 大なり。(『甲乙録』9)

足羽郡足羽神社,暦年史に曰く,継体天皇なり。(『甲乙録』11)



『甲乙録』9以下は秦山が「雑記」と書くように,本格的な議論はあまりない。そのためか『土佐國群書類従』所収『秦山集』はこの部分を省略している。

秦山は朱子学者としても知られているが,どちらかというと神道方面から言及されることが多い。秦山の朱子学理解は平凡で,突出したものがないため,どうしても神道に興味が向くのであろうし,また秦山の文集そのものが神道(および天文)を中心に組み立てられているのだから,秦山の思想を神道から捉えるのも無理ないことである。

ただ私は神道について無知なので,ここで秦山の神道理解をああだこうだと説明するのは差し控えることにしたい。

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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