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谷垣守略年譜

(追記:2010/02/06)
南学・秦山・崎門関係の記事はサイトの方に改訂整理しました。以下は拍手をいただいた記念に残しておきますが、間違いは訂正していません。
(以上、追記終わり)

谷真潮『北渓集』に父親の谷垣守および夫人の伝記が収録されている(『土佐國群書類従』巻123中。新編『土佐國群書類従』第10巻295-297頁)。比較的細かく記されているので,谷垣守の年譜を作ってみた。前に作った谷秦山略年譜の続編。

(追記:2009/05/05)谷垣守の年譜は既に吉崎久氏が「谷垣守年譜考」(『神道学論文集 谷省吾先生退職記念』,国書刊行会,1995年)を著している。同論文は垣守の動向を『北渓集』所収の伝記によりつつ,山内文庫(高知県立図書館所蔵)その他の垣守の跋文を利用し,垣守の著作時期とその交友関係を明らかにしたものの如くである。随って垣守の著作繋年を知るには吉崎氏の論文を用いるべきであるが,『北渓集』所載の垣守伝がその動向を示す基本資料であることに変わりないので,本ブログの記事はそのまま残すことにした。

『北渓集』所収の垣守伝は骨と筋だけの記述なので,ほぼ全文を繋年したが,若干の記事は省略し,垣守従学の記録は繋年の後に付した。また母親の池内氏の伝記は省いた。垣守の伝記中,真潮に繋る記事も存在するが,併せて記した。なお資料の返点には必ずしも従わなかった。


○元禄11年。1歳。
7月21日。高知城北秦泉寺村に誕生。母は土橋氏。小字は虎蔵という。
○同16年。6歳。
松尾氏を師とし,『小学』を読む。
○宝永6年。12歳。
秦山が始めて『小学』を講じた。以後,四子書・詩・大学衍義・唐鑑・神代紀を読んだ。
○正徳2年12月26日。15歳。
成人の礼を行い,甚助自直と称す。
○享保元年。19歳。
隅田氏を妾とする。
○同3年。21歳。
1月21日,安子を産む(隅田氏との間の娘)。
6月30日,秦山没す。古礼を考え,長岡郡山田村鍋山具比美谿上に葬る。
○同4年。22歳。
隅田氏を出す。
山田邑の居宅を斥売し,秦泉寺邑に寓す。出境の意あるも,朝議が聴さず。久万邑に寓す。
始めて書生に教授した。
○同5年。23歳。
6月26日,西野地村に移る。
○同6年。24歳。
8月15日,朝命にて五口俸を賜い,留守部に列した。
○同7年。25歳。
10月11日,池内氏を娶る。
○同9年。27歳。
3月23日,請を得て京に入る。神道を玉木葦斎に問い,伊勢神宮を拝し,南都を通過した。
9月4日,家に帰る。
○同12年。30歳。
1月3日,真潮が誕生。
○同13年。31歳。
冬,小高坂村に転居。門人益々多し。
○同18年。36歳。
8月13日,新小姓格にのぼり,俸十石を加えられた。
○元文元年。39歳。
2月13日,小姓格に転じた。
3月,はじめて君主にともない江戸に遊ぶ。
○同4年。42歳。
5月10日,帰郷。
○同5年。43歳。
1月9日,俸米十石を仮賜される。
3月6日,祇役(江戸に赴いたことを意味す。以下同じ)。
○寛保元年。44歳。
5月2日,帰郷。
○同2年。45歳。
3月6日,行役(江戸に赴いたことを意味す。以下同じ)。
○同3年。46歳。
閏4月6日,帰郷。
○延享元年。47歳。
3月1日,出発。
○2年。48歳。
5月13日,帰郷。
12月31日,真潮が立田氏を娶る。
○同3年。49歳。
1月9日,命が下り,仮俸米が真となった。
2月1日,出発。真潮も従う。
○4年。50歳。
5月11日,帰郷。
○寛延元年。51歳。
1月9日,真潮が別俸三口を賜る。
2月11日,祇役。
○同2年。52歳。
5月8日,帰郷。
○同3年。53歳。
1月9日,二口四石俸を加賜せらる。
6月1日,従駕。
○宝暦元年。54歳。
5月6日,帰郷。
6月1日,病に倒れる。7日,卒倒昏眩。8,再び倒れる。
8月19日,孫丹蔵が生まれる。
12月12日,早朝,再び病に倒れる。
○同2年。55歳。
3月30日,没す。
4月1日,秦山に葬る。


府君(垣守),温和良実,楽易真率。親に仕えて孝,秦山君の喪に居り,哀戚甚だし。人と交わりては偏党なし。貴賤長幼 皆歓心を尽くし,利害損益 心頭に上らず。終身 言 物価に及ばず。居常善謔 可すこと多きも,事に遇いては直言し苟合せず。仕禄の後,封事を上り,得失を論ず。其の言 激切に出ず。侍講に在るより,公家の事 知りて言わざるなし。大昌公も亦た(校勘に従い改訂する)能く虚心もて之を容る。元文中,陟黜の典あり。親から手書を下し,人才を問う。先君 乃ち執政以下数人を擬注し薦む。既に皆 擢用する所にして,其の人 皆一時の選なり。而るに平生 献納する所,其の稿を焼いて存せず。故に人に之を知るなし。風俗の頽敗,政治の闕失を聞くごとに,憂憤 色に見わる。

秦山君 晩年常に「神道・歌学・有職の三者 学ばざれば,則ち皇朝の人に非ず」と謂うなり。而るに身 僻境に在り,且つ〔罪〕籍に罹るを以て,師友なく,文献に乏しく,其の事 未だ精究せざるを恨みと為す。秦山君 没し,先父君 其の志を継ぐ。神は玉木葦斎を師とし,歌は高屋近文を師とし,傍らに諸家に問い,刻苦研尋,至らざる所なし。橘家の神道の若き,心を用いること尤も甚だし。後,東都に扈従し,岡田正利・友部安崇に内交し,討論すること年あり。いわゆる風水・風葉なる者を得るも,未だ以て自足せず。後,加茂真淵・荷田在満 古学を倡えるを聞き之に従学し,講究すること年あり。是に於いて昔年 講ずる所の神道なる者,真を失するあるを覚る。晩,神代紀を講じ,往々にして指摘する所あり。而して其の説 平易簡明,諸家を折衷し,大成に幾し。門人 之を録して『早別草』と曰う。

平居 手づから巻を廃さず,手づから謄写する所の皇朝の書数百部,著す所に『神代事跡考』『芳宮事跡考』『土佐国紀事』あり。其の他 稿に属す者 猶多きも,行役年々 寧居に遑あらず,天も亦 其の年を仮さず,其の成を見るに及ばず。嗟呼,恨むべきかな。



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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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