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北渓先生行状

(追記:2010/02/06)
南学・秦山・崎門関係の記事はサイトの方に改訂整理しました。以下は拍手をいただいた記念に残しておきますが、間違いは訂正していません。
(以上、追記終わり)

北渓先生行状............といっても陳淳の行状ではない(これ自体がマイナーだが)。谷垣守の息子(秦山の孫)・谷真潮の号を北渓といい,その行状を北渓先生行状という。『土佐國群書類従』巻71に収録されている。

むかし「行状」なる書名だけ見て,さぞや真潮の細かい事跡が列挙されているのだろうと思い,なんとか本文を読めないものかと考えていた。まあ結局のところ新版の『土佐國群書類従』で読めたのだが,実際に本物を目にしてびっくりした。

私は行状というからには,中国式の「姓は谷(大神か?),名は真潮,通称は丹内,号は北渓云々。祖父は秦山,父は垣守云々。何年何月に某々して云々」とあるのだと思っていた。ところがこれは年月日などお構いなしで,「一,~」「一,~」と真潮の逸話を列挙するだけだった。私は日本の史料に疎いので,こういうのも行状になるんだなあ,などと思っていた。

ところが最近例の国会図書館のデジタルライブラリーで寺石正路氏の『土佐人物伝』を見つけたのだが(リンクの場所が分からなかったのでリンクしない),谷真潮の項目の最後に「門人島崎半助持幸其言行を録し北渓先生遺事といふ徳永達助千規亦其付録を作る」(80頁)とあった。

寺石氏はいかにも古い人間なので,本文に句読点を施していない。今便宜的に句読点を振り,さらに送りがなや平仮名化を施すと,「門人島崎半助持幸,其の言行を録し,北渓先生遺事といふ。徳永達助千規もまた其の付録を作る」となるだろう。

北渓先生行状にも「島崎持幸の記す所」とあるので,寺石氏のいう「北渓先生遺事」はこれを指すのだろう。寺石氏がなにに基づいてこんな発言をしたのか知らないし,逆に行状がいつから行状と呼ばれるようになったのかも分からない。しかし内容から推せば,「行状」より「遺事」の方がふさわしい。(2009/06/05追記。松山白洋氏の土佐歌人群像によると両著は別という。)

まあそれだけなんだが,個人的にちょっとした発見だったので,記しておくことにした。

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