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『春秋学入門』4-4

サイトの方に改訂版を公開しました。改訂済みの訳文は『春秋学綱要』と改題し、こちらサイト本館)にあります。なおブログ掲載の訳文は、煩瑣を避けるため、補注を削除しております。ご了承ください。
○最終更新日:2009/11/01

第四論文

(つづき)

〔その他の重要事項〕

その他、例えば荊人の来聘に対して、はじめは夷狄の臣に名と字を書くことはなかったが、後には名氏すら記されるようになった(*21)。無駭と挟の卒に対して、はじめは諸侯の大夫に氏〔校4〕を書くことはなかったが、後には生まれながら名氏が記されるようになった〔校5〕(*22)。はじめは諸侯と諸侯が盟を行っていたが、後には大夫が諸侯と盟を行うようになった。はじめは諸侯が互いに盟を行っていたが、後には大夫が互いに盟を行うようになった。はじめは諸侯が天子のまねごとをしていたが、後には大夫が諸侯のまねごとをするようになった。はじめは大夫が諸侯の権柄を盗んでいたが、後には陪臣が大夫の所有地を盗むようになった。

春秋一経を通覧した場合、大抵〔世道は〕降下を続け、ますます浮薄になっていく。春秋から上に遡れば、文武成康の盛代に達し、堯舜の御代に到達する。春秋から下に降れば、七雄分裂の極に達し、秦に至らねば止まなかった。後世、『資治通鑑』を作った者は、韓・趙・魏が諸侯となったところに篇端を求めたが(*23)、それもまた春秋の後を継ごうとしてのことであろう。

〔小結〕

春秋を修める後学の徒は、まず大義を明らかにし、理の精微を極め、次いで世変を観て、事実を研鑽しなければならない。そうすれば春秋一経は概ね理解できるだろう。

〔訳者注〕
(*21)『或問』巻3衛師入郕条を参照。
(*22)『或問』巻4無駭卒条を参照。
(*23)『資治通鑑』は司馬光の著。春秋と同じ編年体を用い、春秋の後を承けて歴史を論述したもの。ただし春秋の終端である獲麟から筆を起こすことなく、趙・韓・魏が諸侯となったところから叙述を始めている。

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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