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句読点なし

句読点なしの文章を書きたいらしい人がこの日本にはいる。私は面白い試みだと思うが,残念なことに江戸時代ほとんど用いられなかった句読点が,明治以後に用いられ始めるや瞬く間に普及したことを思うと,やはり句読点は便利なのだろう。ならば句読点抜きの日本語を書いても,現代人には苦痛なだけだと思う。

これは中国でも同じで,句読どころか改行すらしなかった中国語が,近代化するや否やあっという間に句読点を取り入れ,挙げ句の果てに漢字は簡体化するわ,書式は横書きになるわ,驚くべき変貌を遂げている(現代の中国語は横書きだよ。ただし台湾は縦書きで,日本のいわゆる旧字体を用いている)。

とは言いつつ,少し前に私が読んでいた本は,ふと気づくと句読点のない本だった。著作権が切れているので少し引用してみよう。

以下,寺石正路氏の『南学史』(冨山房,昭和9年)の第五十一章谷秦山の冒頭。ただし完全な旧字体表記は断念した。もちろん原書は縦書き。なお寺石氏についてはこちらのページ土佐の歴史散歩のサイト内)に詳しい解説がある。ただし没年は逆算して昭和24年だと思うが,もしかしたら卒年が混乱しているのかも知れない。どちらにせよ著作権の保護期間は切れている。

野中兼山廃黜後南學一時四散の際土佐に在りては兼山の又弟子大谷養正を抜擢し伊藤仁齋の妻弟緒方宗哲を招聘し以て藩學の缺陷を補ひしも素より曩時の隆盛に比すべくもあらず只僅かに學問の餘喘を保つに過ぎざりしが此に土佐の國に偶然一箇の豪傑生れ出で忽ち前緒を紹ぎ後業を興こし已に絶へんとする南學を復興し人材輩出の端緒を啟き天下の氣運に關係する一大偉勳を建てたるものあり其の人は誰ぞ谷秦山名は重遠是なり

谷秦山は祖先長宗我部氏の臣下に屬し代々岡豐城八幡宮の神官なり秦山山内氏の代に生れ天資聰明にして幼より童の譽あり苦學力行一日も怠らず京に上り山崎闇齋淺見絅齋に就き儒學を學び後更に度會延佳につき道を質し澁川春海に從ひ天文を窮む博學洽聞海内比少なし且つ識見超邁に議論亦允當に著書等身人仰ぎて文學の泰斗となす其子垣守亦儒の道に通じ孫眞潮亦學問あり藩の樞機に參す秦山通稱は丹三郎、垣守丹四郎、眞潮丹内依て谷の三丹と稱す眞潮弟好井といふ高山彥九郎と交篤し其子景井儒醫を業とす其子は卽ち子爵隈山干城なり一門皆豪傑有爲の材に富み人材輩出世に稀なりとす

秦山儒學を以て自ら樹立す南學四散後土佐に鴻儒の無き二十餘年忽ち秦山出づるに及び藩學再び振ひ弟子雲集其の門に集まり奧宮正明、入江正雄、安養寺禾麿等各一科を以て其の名を成し文學鬱然として海南に興こり元祿正の盛は古の永正保に讓らず其の文化の普及は恐くは此の時代を以て土佐の黃金時代と稱すべし然して垣守眞潮の子孫に於ても門下に幾多の俊材を出し其の後昆延びて皆明治の維新志士となり千載一時の氣運に際會し國家の爲め偉勳を建つ其の由來一朝一夕の事にあらず蓋南學は之を遠ふして兼山闇齋の鼓舞に本づくと雖も中頃秦山の極力鼓吹に由つて土佐一藩に流布し遂に國民的の基礎となり克く維新の大業を成就せしは兼山闇齋の志も秦山に至り始めて達成されたる者と謂ふべし今左に秦山の學統竝に學流とその概傳を述べん(476-467頁)



なかなか感動的な文章ですが,みなさんは果たして読めたでしょうか?慣れもあるでしょうが,根本的に固有名詞が分からないと読みにくて仕方ないですよねえ。でも案外句読点がなくても,句や文の切れ目に「其の」とか「然して」とか「素(もと)より」とか入ってあるので,読めないものではなく,人名が連続する場合は読点が入っていたりと,手加減はされているようです。ちなみにこの本,漢文には読点と返り点が付いてます。

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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