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『北渓随筆』所引の自殺

私はむかしから死に対して微妙な感情をもっている。別段自殺願望はないし,自殺を推奨する気は全くないが,むかしから自ら命を絶つことで何らかの主張をする人間がいるのを見ると,そこにはなにか人間の本質に関わるものがあるのではないかと思わないでもない。もちろん「自殺が多いのは特定の国だけだ」と批判する人もいるだろうが,特定の国に発生する以上,特定の条件下に於いて人間が自殺しやすいという例証にもなるだろう。

冒頭から死ぬの死なぬのと物騒な話しをしたが,私にとって,この手の話しは比較的頻繁に脳裏に浮かぶ。少し気を緩めると,なんとなく,死ぬのはそんなに悪いことだろうかと考えないでもない。そういう不健康なことを考えていた後,谷真潮の『北渓随筆』を読んでいて面白い記事が見つかった。

又曰く:一日,野遊に従いし時,潮江の人家の奴婢心中の事あり。先生曰く,「昨,心中する者あり。聞くや。」曰く,「聞けり。」曰く,「奴婢すらなお能く事理の逼るに臨みては,死してもって心中を明らかにす。然らば則ち死は難事に非ざるなり。ただ能く死さずして節義を全うす。是れ可。」正基,之を聞きて念う。先生,余の事に臨みて苟免せざるを信ず。是をもってこの教えあり。且つ喜び且つ勤む。



上の話は真潮が秦山の弟子・村田正基の言葉を記録したもので,発言は真潮のものではない。本文中,「又曰く」の又は村田正基を,先生は谷秦山を指す。

ちなみに秦山の文集『秦山集』甲乙録七には次のような渋川春海の言葉が引かれている。

人物を論ずる,舎人親王をもって至極とす。武内宿禰と雖も,姉弟の鬩をもって瑕疵となす。楠もまた一生を全うせざるを瑕疵となす。一生を全うせざるは,取らざるところなり。この段,拠るところあり。まさに深くその原伝を得べきなり。



これは秦山その人の言葉ではないが,書きとめておく価値を感じたのであろう。上の真潮の随筆の言葉と符節を合する。言うまでもないが,自殺蔑視はありふれた考えで,秦山特有の思考ではない。別に秦山の文章で自殺を考える必要はないが,たまたま私がそういうことを考えていたときに出会しただけのことである。

しかし世の思想や歴史の研究者で生死の問題を語れる人間がどれほどいるだろうか。もちろんどれほど立派な人間の立派な発言でも,すべての人間を納得させられるわけではない。しかし少なくともひとかどの人間であれば,さすがはと思わせるだけの深い言葉を紡ぎ出せるはずである。

歴史を語ることは,人の生きる意味を語ることでもある。それに答えを出せず,何を研究するというのだろうか。難しいからいずれまた,というのは結構だが,そのまま墓場に持って行かれては困ったものだ。敗戦後しばらくは純粋な文献研究も必要だっただろうが,ある程度それに目算がついたなら,どうでもいい些細な話しはともかく(どうせ分からないのだから),もう少し現実に差し迫った問題を解明してもらいたい。と,我が身を省みずそんなことを思った。

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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