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『曾公遺録』

宋代では宰相クラスの官僚が習慣的(義務的)に日記を付けていた。常識で考えて,宰相の日記なのだから,中央政界を知るにはさぞ便利なもののはずだが,遺憾なことに余り現存していない。特に北宋のものはほとんど残っていない。本書『曾公遺録』はそのわずかに現存している日記の一つである。

『曾公遺録』というのは,北宋後半に活躍した曾布の日記と言われている。「言われている」ともったいぶるのは,曾布の日記の書名は従来『曾布日録』(長編),『曾相手記』(讀書志)や『紹聖甲戌日録』『元符庚辰日録』(書録解題)などと伝えられており,『曾公遺録』ではないことによる。とはいえ,本書は一見して日記の体裁を取っているので,恐らく曾布の日記だとされるのである。書名の異同は珍しくない。

曾布は王安石の新法法案を練った人物として知られているが,しばらくして王安石と対立して下野し,長らく不遇の政治生活を余儀なくされた。後,北宋の紹聖初期に翰林学士として中央政界に復帰,紹聖以後から建中靖国までの間(哲宗~徽宗初期)は,宰相の章惇に対して,知枢密院事(枢密院の長官)として政界の中心(中心の外れだが)にいた人物である。

この『曾公遺録』は哲宗最末年から徽宗即位直後の期間を扱ったものである。知枢密院事という軍事部局の長官に君臨した人物の日記だけに普通の記事も十分面白いが,特に哲宗崩御後の政界の混乱や,孟氏の復后問題(*)は事件当事者の記録だけに頗る面白い。本書は『長編』と違って,一人の人間の記録であるから,怪しいところもあれば,自己弁護と思われるところもあるにはある。しかし逆に,一人の官僚の政権争奪のさまが現れていて,これはこれで面白い。

*哲宗に廃后された孟氏を,哲宗崩御後に皇太后向氏の意向で復后させたもの。曾布にしてから前代未聞と言わしめた一大珍事で,後々まで尾を引く事件になった。

ただし現行本『曾公遺録』は,少なくとも原本のままではない。現行本『曾公遺録』は,清人の手になる『藕香零拾』に収められているが,これは『永楽大典』から輯佚したものである。現在,『永楽大典』の目録を検すると,原『大典』には本書が一から九まで存在し(巻19728~19736),現行本はその内の七~九に相当することが分かる。しかも現存の『永楽大典』の中で本書が残る部分はわずかに八の一巻分にすぎない。そもそも『永楽大典』の輯佚というのは,テキストとして必ずしも深く信頼できるものではない。ましてや『大典』から『藕香零拾』へと写される中,誤植や改竄などがなかったとは言えないのである。現行本『曾公遺録』には明らかに錯誤と思われる個所が散見されるのである。

というわけで,本書は,内容面の面白さの割に,当時の政界固有の表現が頻出したり,テキスト的に錯誤が多かったりと,少々使いにくい本だったわけである。ところが数年前に『全宋筆記』(第一編)というシリーズが出版され,奇遇にも本書がその第八冊目に収録された。『全宋筆記』は『藕香零拾』と『永楽大典』を底本とし,他書との校勘の上,校点出版したものである。古書を読むのに楽するのは宜しくないが,しかし折角便利にしてくれた本である。『全宋筆記』のおかげで,随分読みやすくなった。もっとも,レイアウトの関係でもう少し頑張ってほしいところもあるし,校点の仕方にも個人的な好悪があったりするが,それは贅沢の言い過ぎだろう。

……と,取り留めもなく書いては見たものの,校点本であろうとなかろうと,一般の人が『曾公遺録』を読めるわけでもなく,専門家なら一々指摘されるまでもない話しなので,全く無意味なことを書いてしまったような気がしてきた。

追記:2008/11/30

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