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とろう

今日は休みというので県立図書館に行ってきた。どこもそうだろうが、県立図書館は各県の中央図書館ということもあり、その県の郷土資料が集められている。現物はなくとも、大抵は郷土資料目録なり古文書目録なりがある。

私は自分の居住区(やや広い意味で)の偉人に興味を持てず、調べようと思ったこともなかったし、それは今でも同じなのだが、ひょんなことから江戸時代の儒学者を調べる必要(?)が生まれたので、そのついでに郷里の偉い人(江戸時代~明治初期)を少し調べることにしたのだ。

郷土資料室(だったかな?)に足を運び、県下の古文書目録や郷土資料目録、市町村の資料目録などをパラパラ捲ってみたところ、お目当ての人々の資料がいくつか見つかった。ただ無秩序に調べたからか、見つかったのはほとんど書簡の類で、学問的なものは見あたらなかった。

とはいえ資料の整理仕方に方式があるのだろう、目録をめくった感じ、郷土資料の目録は、郷土の一般的な資料の目録に近く、古文書の類はあまり収録していないようだった。それを証拠に、県下にあるはずの藩資料の記述が一切なかった。

したがって、偉人の資料を本格的に調べるには、県立図書館の他の資料目録を精査する他、直接その地の市立図書館に足を運んで、郷土資料として保存されていないか調べる必要があるらしい。さらに本格的に調べるなら、偉大な学者たちの子孫を訪ね、連絡を取らせていただくということにもなるだろう。

もちろん調べても偉人の資料が残っているとは限らない。しかし明治時代に編纂された伝記資料によれば、当時まだ郷里に遺著が残っていたらしいく、もしそれらが戦災天災にあっていなければ、現在もなお書物として残っているかもしれない。ならばそれらの存否を調べざるを得ず、なければそれでよし、あればぜひ拝見したい、ということになる。

と、こうして少しずつ調査を進めていくべきところなのだが、ここまできて急に興味がなくなった。調べても仕方のないような気がしてきたのだ。もちろん調べてみて、すごく立派な学説に出会うかもしれないが、手がければ10年以上かかるだろう作業に、自分の人生をかける気になれなかったのだ。

世界がどこに向かうのか私には今一つ分からない。しかし近代国家の境域が曖昧になればなるほど、日本史の中にもろもろ歴史的事象を位置づける意味はなくなり、一足飛びに、世界的な価値と個人の価値に二分化されるだろう。自分か世界かの選択肢に、郷里の歴史などという媒介はあまり意味をもたない。価値と自分を直接結びつけないと、自分を維持できない。

もっとも、むき出しの価値などあるのかどうか、私は頗る疑わしく思っている。行き着くところ、自分の価値しかないのではないかと、そう思わないでもない。王朝に歴史はなくとも、流浪の民に歴史はある。

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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