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葉夢得の礼記解

北宋末から南宋初期にかけて活躍した葉夢得(1077~1148)は,当時から既に著名な学者として知られていた。葉夢得は博学の人であるため,これといった専門をもつわけではない。しかし春秋には一家言もった人物であったことは,その著書『春秋傳』『春秋考』『春秋讞』の三書を見れば明らかである。

その葉夢得の春秋学に関連して,南宋末の人衛の『礼記集説』には少し面白い書物が挙がっている。『礼記集説』の頭に置かれた「集説名氏」(『礼記集説』に引用した学者名とその書名)には,葉夢得を記して以下のような記述がある。

石林葉氏(夢得),字少蘊。

解曲禮、檀弓、王制、文王世子、祭義、祭統、哀公問、仲尼燕居、孔子居、坊記、表記、緇衣、儒行、大學、昏義、郷飲酒義、射義、燕義、聘義十九篇。仲子(模)『過庭録』時有論説。


葉夢得には遺憾なことに行状や碑銘といった伝記史料が残っておらず,随って葉夢得の著書がどれほどあったのか不明な点が多い。しかし書目類から葉夢得の著書を調べても,礼記に対して注釈があったことは絶えて記されていない。わずか19篇にのみ解を施したというのであるから,あるいはその文集『石林集』100巻の中に収められていたのかも知れない。

衛の『礼記集説』は,既に失われた多くの解釈を引いており,宋代の礼記研究を調べるための必須の書物である。特に大学と中庸の二篇には自ずから異なる興味も持たれるところである。(私は全く興味はないが)しかし本書が如何に浩瀚な書物とはいえ,引用書物の全てを収めたわけでは当然ない。そのため葉夢得の引用部分を全て集めてみても,それで葉夢得の19篇の解が全て得られるわけではない。また仮に引用部分に何等かの特徴を発見できたとしても,その特徴そのものが,衛の選択による可能性も大いにある。

というわけで,必ずしも『礼記集説』から葉夢得の礼記解の全貌を窺うことは出来ないのだが,引用部分には特徴らしいものもある。それは礼記の中の制度(広い意味で)に関係する部分に多く引用があるということである。そもそも解を施したという,曲禮以下の19篇そのものが,既に制度的側面の強い篇である。例えば文王世子の後半は,嘗て清の廖平が王制の残文を疑った個所であるが,『礼記集解』所引の葉夢得の解にも,文王世子の後半の部分に解が残っている。あるいは大学の注解はあっても,中庸の注解がないのも特徴といえば特徴である。

輯佚は隋唐以前の文献に対して行われる場合が多く,その精度も自ずから隋唐以前の文献に対するものに精密さが要求される。宋代の佚書は,隋唐以前よりも遥かに輯佚しやすい。仮に宋代の現存著書を引用した宋代の文献から,その現存著書を輯佚(?)してみると,あんがいいい加減な輯佚本しかできない場合がある。お節介な話しだが,宋代ですら然りとすれば,果して隋唐の輯佚はどれほど正確なのであろうか。

まぁ,専門外だから思うことなのだろうけど。

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