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春秋学と春秋時代

高校世界史の賜か、中国に春秋という時代があることを知る人は多い。もちろん春秋時代は春秋から来ているのだが、そういう由来はどこ吹く風、春秋学というと春秋時代を連想してか、春秋学=春秋の時代を研究する学問と思っている人がいる。

この手の発言は中国の歴史に興味を持ちだしたばかりの人に多く、それでもって公言して恥をかくことになるのだが、実のところ、両者はそれほど明確に区別できるものではない。確かに感覚的には両者は異なるが、春秋学の研究方法や「春秋時代の歴史」を研究する目的の置き所によって、両者は微妙に接近する。

まず確認しなければならないのは、春秋学は春秋学の歴史そのものを研究する分野ではない。春秋学が研究対象とするのは、道理であり真理であり、人倫であり天理であり、天人であり人事である。これを解明するために、孔子の筆した春秋経を用いるし、その春秋経には春秋時代の歴史が書かれてあるが、春秋学はその歴史を用いて、この世の真理を探究する。

では春秋学にとって春秋時代の歴史の解明は手段に過ぎないかというと、ここが難しいところで、春秋時代の歴史(経文)=真理の発現とみるならば、春秋時代の歴史(経文)はそのまま真理となり、春秋時代の歴史を解明することが春秋学の目的になる。この種の春秋学観は、春秋学の解説としてよく見かける晩清経学と対立する。しかし学説史的には、むしろ晩清経学が特殊なのであって、春秋時代の歴史(経文)=真理の発現という見方は、それほど珍しいものではない。

ただし先ほどから奇妙な書き方をするように、春秋学において、春秋時代の歴史(経文)=真理の発現と見ることはできても、春秋時代の歴史=真理の発現と見ることはできない。そして春秋時代の歴史(経文)=真理の発現が成り立つためには、春秋時代の正しい歴史は経文に現れているという、前提がなければならない。

随って、歴史学者が、人間の道理を解明すべく、春秋経文を基礎に、春秋時代の歴史を解明したならば、結果として、その研究は春秋学と接近する。ところが歴史学者が、人間の道理を解明しようとせず、随ってただ器物や系譜を解明するために、春秋経文以外の資料に根拠を置き、春秋時代の歴史を解明したならば、それは春秋学と全く無関係のものになる。

歴史学の一つとして扱われる春秋時代の歴史は、研究目的も、研究上の史料的根拠も、通常は春秋学と異なる。随って、普通の意味において、春秋学と春秋時代の歴史研究は別の分野ということになるが、研究の目的や方法によって、両者は微妙に接近しもするのである。

春秋学は二千年以上の歴史をもつ分野だが、いわゆる歴史学はごく最近の学問である。だから歴史学に質的変動でも起これば、あながち両者は無関係の関係にならないかもしれない。もちろんその時には、近代歴史学の勃興と正反対のこと、即ち思想を担当する春秋学が、事象を担当する春秋時代の歴史学の上位に置かれるはずだと、私は信じている。

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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