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春秋学の価値

・・・・・・なんてあるのかね?

私は過去から現在までを一貫して捉えることに意味を感じない。だからその手の発想で歴史に価値を与える人間に賛同できず、また感覚的にも分からない。捉えたからといって、別段未来が分かるわけでもあるまい。私が知りたいのは、現在から未来であって、過去から現在ではないのだ。そして両者の現在は、限りなく離れている。

それはともかく、春秋学に価値があるとすれば、おそらく解釈の多様さだけだと思う。今でも歴史の本を読むと、誰某はこういう人間だったとか、あの事件はこういう意味があったとか、こういう風に読むべきだとか何とか、そういう話しが山ほど出て来る。

まあ言ってしまえば、春秋学はその親玉みたいなものだ。「鄭伯、段に鄢に克つ」という数文字の文章をめぐって、頭の良い学者(もちろん現代日本のじゃない)がああだこうだと議論する。読み手としては、その中の立派な発言、自分にとって有意義と思える議論を取ればそれでよく、せいぜい自分の人生の糧にすればいいのだ。

ただ読書が進んでくると、人間不思議なもので、なにかしらん統一的な理解とか、厳密な解釈とかいうのを求め出すので、そうなると誰某は腕がある、こっちは今一つとか、そういう意見も出て来るし、私は誰某の解釈が好きだとかいうのも出て来る。特定の歴史小説の作家を好きになるようなものだ。

春秋学は歴史小説よりは評論に近く、評論よりも人生の指南書(ハウツー本?)に近い。だからある程度、春秋学の骨格さえ分かれば、あとはその時その時の自分に必要な箇所を読めばいいし、必要な分量も少なくてすむ。即戦的な力にはならないが、視野を広げたり、意固地な心を解きほぐしたり、そういう役には立つ。少々高尚な趣味にも浸れる。

とはいえ............その骨格を覚えるのが、何というか、やはり面倒なんだろうな。面倒と言うよりは、骨格を覚えたくても、覚える方法がないというべきか。日本語で読める春秋学の入門書はほとんどないし、あっても解釈書の翻訳は出ていないから。でも大丈夫。春秋学なんて知らなくても、人間健全に生きていけるから。思想系の学問なんて、所詮そんなものだ。


そうそうこんな雑なことを言うと、研究者は怒るかも知れない。でも悪いけど、研究者にとっての価値は研究者にしか意味をなさない。もし価値があるなら、研究書なんて飛ぶように売れてるはずだ。売れもしない研究書は、その程度の価値しかない。

もちろん売買以外の価値を求めるのも結構。だがその場合は、自分が他人を説き伏せるだけの見識をもっていて、始めて意味ある発言となる。人の師となり得るほどの学者の発言なら、私も喜んでそれに従いたい。

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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