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鍾文蒸・廖平

中華書局の清人十三経注疏に穀梁伝の注疏が二つ挙がっている。一つは有名な鍾文蒸の『春秋穀梁経伝補注』で、穀梁伝を読むときはふつうこれを使う。しかしこれとは別にもう一つ廖平の『穀梁春秋経伝古義疏』がある。これは影印本があまり流通していないこともあって、利用する人が少ない。

よく言われるように、鍾文蒸の『補注』は范の注を基礎に、穀梁伝に即し、解釈に役立つ先人の研究(穀梁を褒めたところだけ)を片っ端から引用する。おかげであの薄い穀梁伝が、ぶっとい本になってしまった。便利ではあるんだが、猥雑というので批判されることもある。

これに対して廖平の研究は清末の今文学(廖平は今学という)の影響を受けている。この一派は特殊な研究方法をする。まず漢代の経学は大きく今文と古文があったとみなす。そして今文と古文は全く別個の学問であり、両者の経文解釈は別個のものだと考える。

穀梁伝は今文だから(一部に古文という人もいるが)、穀梁を解釈するには、今文学説による必要がある。ところが范はなにも分かって折らず、今文も古文もごちゃまぜにして解釈している。全然なってない。だから范の注はすべて無視して、改めて今文の注釈書を作る必要がある。

しかし困ったことに范より古い穀梁伝の注は現存しない。ではどうするか?さきほど言ったように、今文と古文は別個の学問である。両者の学問が別個なら、古文の学統を受けた学者は古文の、今文は今文の解釈しかしないはずである。だったら今文の系列に属する学者の著作や発言から、穀梁伝に関係ある部分をを片っ端から集め、それを一まとめにすれば今文で穀梁伝の注を作れることになる。

幸い前漢に劉向という人がおり、この人は穀梁伝を受けていた。ならば劉向の春秋に関する発言は、すべて穀梁伝の学説のはずだ。なら劉向の遺著から春秋に関する発言をあつめて、経文の下に排列すれば、穀梁伝の正しい注の骨格はできあがるはずだ。

と、そこで廖平は『説苑』あたりから春秋に関する学説を片っ端から集め、さらに『漢書』や経書の疏から穀梁学説を引っ張り出し、上の本をつくった。今となっては廖平の学問的立場が間違っていると言わざるを得ないが、注釈の方法が極めて謹厳なのは認められる。ある種の見方からすれば、鍾文蒸の『補注』よりも解釈に一貫性がある。

ただし廖平は穀梁伝に素王説があったという学説を立てている。素王説は公羊独特の思想なのだが、廖平は『漢書』の注(一箇所のみ)に素王の文字がある、現在の穀梁伝にはないが、きっと来歴あるもののはずだ、と断定して、勝手に穀梁伝の学説に素王説を組み入れたりしている。

その他にも穀梁伝と『礼記』王制は完全に一致すると発言し、王制の礼制を直接穀梁伝に当てはめて解釈しようとする。たしかに廖平の指摘によれば穀梁伝と王制は矛盾しないのだが、一致するかどうか、疑問の余地は充分ある。

全般的に廖平の穀梁伝解釈は無理が多い。だから普通に穀梁伝を読もうと思えば、鍾文蒸の『補注』の方が便利だ。しかし范以前の穀梁解釈に迫りたいと思う人には、廖平の解釈も悪くない。むしろ知的な挑戦として楽しめる。


(*)穀梁伝が古文だというのは、崔適の『春秋復始』がその始めで、王樹栄『紹邵軒叢書』に受け継がれた。最も有名なのは張西堂『穀梁真偽考』。戦前までは有名だったが、既に過去のものになったようである。

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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