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変人

日本や中国の儒学者の本を読んでいると、「偉い先生に質問してまわったが、まともに私の質問に答えられる人はいなかった」という表現に出会すことがある。この種の人間はたいてい変人に属する人々だが、私はむかしからこの種の言葉が気になっている。

これに対して、むかしは「偉い人は違うね~」と思っていた。しばらくして、「けっ、偉そうに、お前の頭が悪いからだろ」とひねくれた考え方になった。さらに時間が経つと、「価値のない発言だから無視しよう」と思うようになった。そしてもっと時を経ると、「根本的な意見が違えば、だれしも満足いく答えは得られないだろう」と思うようになった。

このように考える時期によっていつも所感が変わっていくのだが、最近では、質問の内容に問題があったのではないかと思うようになった。人間だれしもそうだが、専門家の場合、質問とその応答にはいくつかのパターンがある。そのパターンの中で、どれほど正確で深い言葉を発せられるかが、その人間の優劣を分ける。

しかし変人が質問する場合、このパターンを無視するときがある。悪く言えば、非常識な質問ということになるし、よく言えば、既成の価値観にとらわれない、斬新な発想を提示したということになる。したがって変人が質問すると、頭の良い人間ほど返答に困る。

例えば、歴史の研究をする人間は、正面の論理では、現在から未来を見据えつつ、その必要とする事項の解明を、歴史的に説明することを目的とする。この目的をより正確に実施し、そこに価値を感じ、相即できる人間のみ、歴史の研究を継続できるし、その目的下に生まれた成果にのみ評価が与えられる。

ところが変人はこれに対して、同様の行程を実施し、専門的技術を持つにも関わらず、その行為の価値を否定する。正面の論理以外の目的のために歴史の研究はあるはずだから、別の目的を提示しろと迫るのである。優秀な学者とは、目的を正確に実施する能力を持つ人間を指す。したがって、目的外の目的を迫る質問者には、答えを窮するのが普通だ。

平たく言えば、歴史的研究をする技術を持つにも関わらず、「私は歴史に価値を感じている。しかし現在の歴史学には価値を感じない。だから私は別の研究価値を提示したい」と変な質問と提案をすることになる。したがって変人の質問は、停滞した価値観や思考回路を破壊するとき、極めて有効に働く。

しかし変人の有効性は既成の価値観を破壊するときだけで、建設的なところにはあまり役に立たない。変人は少数者で、少数者の常識を持った人間たちだ。だから少数者の中だけで通用する常識を振りかざせば、常識人の盲点を衝くことはできる。しかしそれと同時に、ひとたび常識が突き崩され、新たな常識が再構成されるときには、もう変人は用済みなのだ。少数者の常識は、多数者にとって苦痛なだけだから。

妙ちきりんな質問をする変人の名が残るのは、たしかに時代の激変期に多い。あるいは変人は、世の中の非常事態のため、いつも一定数ストックされている、迷惑ながら必要な存在なのかもしれない。と、思いつつも、結局多数者に相即できない少数者は、外れ者の運命なのだなぁと、わびしくも思ったりもする。

そういえば前にも変人について妄想を書いた気がする。

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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