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弟子

前から気になっているのだが、『崎門学脈系譜』(リンクは「黙斎を語る会」内)は、なぜ谷垣守を三宅尚斎につなげているのだろう?どう考えても秦山から垣守につながるはずなんだが。恐らく尚斎側に尚斎と垣守の関係を示す資料があったのだろうが、ちょっと強引じゃないだろうか。垣守以来の谷氏に、尚斎の学統を引いたという意識は全くないだろうに。もう一つ、系譜では真潮の下に景井が来ている。系譜そのものが指摘するように、景井は好井の息子だから、ここのつなぎ方もおかしいと思う。

ちなみに垣守の下の下に見える宮地静軒は、もともと秦山の弟子で、秦山の没後に京都で尚斎の世話になったらしく、京都では尚斎の弟子と見なされていた。その息子の春樹は京都留学時代に西依成斎に習ったためか、系譜では成斎の下に配されている。これは他の本でもそうなっているので妥当なんだろう。春樹の息子の水溪(仲枝)は、家学と見なされたのか春樹の下にあるが、仲江は真潮の弟子なので、真潮の下につないでもおかしくない。仲江の下の安並惟斎(雅景)は真潮の娘の子供だったはずで、ほとんど真潮の弟子のような人間。

一本の線で繋げられた系譜は見ていて分かりやすいが、それで実情が正しく分かるはずはない。そもそも、なんでもかんでも一本の線でつなごうというのが間違いのもとで、個人も集団も、人間そう簡単に関係づけられたものではない。分かりやすいものは、大概なにか重要なものを切り捨てている。

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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