スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

明日の風

明日は明日の風が吹く。――明日が来ればね。というのが最近の感想。今一番欲しいものは......と、これは止めておこう。犯罪になるといけないから。もちろん欲しいのは麻薬じゃないよ。

それはそうと『黄氏日抄』の読春秋を読もうと思い、テキストまで準備したものの、諸般の事情で突然進められなくなった。人生いろいろ不可不為ものがありますから、こればかりは仕方ないですね。それに誰かに期待されているわけでもないどころか、むしろ嫌がられているわけだから、まあ進められるならゆっくりやっていきたいと思います。


以下、たわいもない日記。


今日は久しぶりに昔のことを思い出した。朝目が覚めて、「また嫌な一日が始まるんだなあ」と思い、何となくニュースを確認し、意味もなくため息をついたとき、経済政策の記事を読んだせいだろうか、なぜか小学生のころ、友達と作ったゲームブック(もどき)を思い出した。

高畠素之はかつて国粋主義の「昔に返れ」を批判して次のように言った。

昔を今にするよしもなしといふ古歌の心意気は、等しく今を昔にするよしもないのである。汽車、電車、瓦斯、等々の物質的なそれが、一時に眼前から、拭蝕されたなら、その不便は目明がめくらになつた以上であらう。生れながらの盲目なら別として、現世的な美と幸福を眺めた両の眼が、一時につぶれたとなれば、その不幸は想像外であらう。ところが復古主義者、なほ広くして精神主義者は、十億の人間が皆めくらになれといふ。そして盲目にのみ幸福があるといふ。世にこれ程の出鱈目はあるまい。(『自己を語る』向ふ三軒両隣り)


いかにも昔の人らしい文章で、今の人間が書けば自主的検閲に引っかかって出版できないだろう。

それはともかく、確かに「物質文明」の「幸福」を知った私には、昔にもどることはできないだろう。では、私たちは諦めるとして、その次の世代に「幸福」な「物質文明」を伝えなければいいのではないか?もちろん正気で言っているわけじゃないし、ここでそんなことを論ずるつもりもない。わざわざ高畠さんに登場ねがったのは、わがサイトの宣伝と私の昔話の箔付けのために過ぎない。

小学生のころ、友人と作ったゲームブック(もどき)に、私は「忘却の島」というのを作った。子供のやることだし、独創性のない私のことだから、多分なにかから影響を受けたのだろう、むかしむかし神様のような魔法使いが、世間と隔離してしまった永遠に同じことが繰り返される島を作った、という定義を与えた。

今から考えれば、別に世間から隔離され、変化しない世の中だからといって、幸せになれるわけではない。単にむかしながらの幸不幸が繰り返されるだけなのだが、当時はそれで幸せになれると考えていたのだろう。しかし自由競争やそれにともなう幸福を説く発言を見るたびに、その道理の正しさを認めるとともに、おそらく失敗するだろうという気持ちしか起こらないのは、なるほど、私のむかしから変わらぬ性格のせいなのかとも思えた。

自由競争、結構なことだ。しかし私の場合、結局それは「よしもない」からするのであって、したいからするのではない。どこかで現実そのものを否定したい気持ちがあるのだろう。もちろん、血みどろの歴史と比べれば現在は幸せだという人もいる。しかし、この手の議論に私は賛同できない。今の世の中でも、驚くほど不幸で悲惨な人生とその終わりを迎える人はたくさんいる。もっといえば......いや、止めておこう。害悪しか残らないから。

何を言いたいのか自分でも分からなくなったので、もうこの辺で止めにする。

スポンサーサイト

テーマ : 読書メモ
ジャンル : 本・雑誌

コメントの投稿

非公開コメント

カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
プロフィール

awatan

Author:awatan
HN:江藤清通
かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

自営サイト
最近の記事
カテゴリー
リンク集
全記事表示

全ての記事を表示する

FC2カウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。