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たしかに謎だな

中国古典関係の訳本の評価を見ると、なぜか件の「書き下し」の人気が高い。専門家が使いたがる理由は分かる。書き下しは音読と似ており、機械的に可能な場合が多く、したがってある程度の正しさで原文を素早く解体できるからだ。ところが翻訳ときては、全く異なる言語体系をもつ漢文を日本語に移すのだから、わずか一文を訳すだけでも、正確を期せばかなりの労力と時間を要する。

しかし一般の人が書き下しを読んでなんの利点があるのだろうか?書き下しには二種類ある。一つは庶民に漢文(のようなもの)を普及させるために使われたもので、擬似的に日本語のようなものに仕立てたものである。もう一つは正統派(?)の書き下しで、漢文を暗記するために、一定の法則に従って、日本語の文法を無視して、漢文を解体するものである。そして高校(人によっては大学)までに習う書き下しは、基本的に後者の書き下しのはずである。

だから書き下しだけが書かれた岩波文庫あたりを、もし原文である漢文を横に置かずに、あるいは原文の形態を想像できずに、漢和辞典を引き引き読めば、恐らく読み間違いを犯すだろう。もともと書き下しは日本語ではないのだから、漢和辞典を引いて日本語のように読めば、当然正しく読めないのだ。それが読めるとすれば、一つには書き下しそのものに手心が加わっていたか、読み手がいつのまにか漢文的表現に慣れていたからか、そのどちらかではないだろうか。

もちろん所詮古典は遊びだから、間違って読んでも構わないと思う。しかし妙に書き下しが持て囃されるというので、結果として学者に楽をさせるようなことになってはいけない。私はこの点だけは普段から気をつけている。だから書き下しですませる訳本(もどき)は内容の如何を問わず-1000点くらいの評価にするし、人にもそう力説している。もちろん書き下しだけだが、清人十三経注疏を彷彿させるほどの注釈の量があるというならば、話は全く別だ。しかし残念ながら、私はその-1000点を越える利点ある本を拝見したことがない。

書き下しについては、ご存じの人も多いだろうが、鈴木直治氏の『中国語と漢文』(在庫切れ)に詳しく書かれてある。私は本書を大学時代にはじめて読んで、大いに感動した。以後、起伏はありながらも、基本的に書き下しはゴミだと思っている。ではなぜ書き下しでブログを書くかというと、それは読者のことを考えてではなく、書き手が楽だからに過ぎない。それは不親切ではないか?もちろん不親切だ。

しかし結論だけを短く求める今の時代、仮に書き下しや訳文がいかに名文で書かれていても、だれも読みはしないだろう。そしてなにより、商売とは無縁の世界なのだ。この場合、読者の受けを我慢すれば、書き手の気分次第ですべてが決まってしまう。それはどちらにとっても不幸なことだが、私の場合、魅惑に抗うだけの力は持ち合わせていないらしい(もっとも、魅惑云々以前に、それだけの力量がないことは自覚しているので、あまり気にする必要はないと思っている。人間、開き直ればすべて終わりだ)。

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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