スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

雑感

政権交代を日本人はどう考えているのだろうか。いや、それ以前に、そもそも日本人という抽象的な意志などあるのだろうか。私の周りには、新政権に期待すると主張する人はいなかった。しかしそれは一般の意見ではなく、私が、私の傾向に近い人にだけに聞いたことによるものだろう。ではもっと広く意見を集めれば、「日本人一般の意見」が発見できるかというと、できるはずもない。おそらく「どう思うか?」と漠然と聞けば、なんとも答えられない人が大半を占めるだろうし、そもそも「どう」の解釈次第でトンチンカンなことを言う人もでてくるだろう。国民個人個人に意見がないわけではないが、多くの場合、意見は他からの触発によって生まれる。

それについて、テレビあたりを見ると、一方的なアンケートに対する答えとして、「世論では」とか、「世界では」のような表現をする。甚だしい場合は、アメリカや中国など三四ヶ国の政府首脳の発言だけを引用して、「世界」などと呼称している。世界を動かす国の首脳はこう見ているというなら分かる。しかし全然関係ない国が含まれることもある。日本の世論でも、世界の意見でもなんでもいいが、なぜマスコミはそういう粗雑な表現をするのだろうか。自分たちの聞いた質問に対して、聞いた個人がこう答えたという以上のものではないだろう。それも政府首脳なら政府の意見として理解できるが、それをなぜ「世界」や「国民」の意見だと見なし得るのだろうか。

公平中立を僭称するマスコミにもうんざりだが、世論とか世界とか意味不明なものを根拠付けに使うのも止めてもらいたい。幸か不幸か人間は偏りがあるものだし、その偏りに徹し、自分と他人を比較してこそ、他人を賛同させるより優れた意見が提出できる(常にとは言わないが)。だから率直に自分の立場を認めて、その立場から、「そういう考えもある」と思われる意見を提出しなければならない。その際は、当然ながら発言者の固有名詞が必要になる。国家や組織が漠然と発言してもらっては困る。固有名詞氏の発言でなければ困るのだ。さもないと折角の意見も小さい世論の発言になってしまう。

と、これは平素私が歴史の論文を読んで思うところを、昨今のいらいらするテレビに当てはめたにすぎない。歴史の論文で頻りに目にする、「この時代はこうで、こういう時代に変化していった」というようなもっともらしい発言は、私の最も憎むところだ。日本の研究論文は、明治以来の近代化で、ごく僅かの突出した人間の意志が全体の意志だと錯覚し、時代とか国家とかいう「固い存在」があると信じ込んでいるから、過去に向かっても同じものを追求するのだろう。しかし残念なことに、近代を除く他の時代は、そのような「固い存在」を追求する歴史学(史学)が全盛だったわけではない。英雄史観が生まれるには生まれるだけの理由があるのだ。

もっとも平生歴史の史料を読む方からすれば、英雄の活躍する時代はろくなことがないとは思っている。まあこういう時代に生まれた人間の不幸といえばそれまでだが、「一般的に平和で幸せ」な世の中に生まれた人でも、驚くほど悲惨な人生を歩んだ人はたくさんいる。だから昔から生死を超えることが人間の重大な哲学的問題だったのだろう。ちなみに私は春秋学という経学の一つを扱っているが、これは歴史の研究ではないと思っている。経学は歴史ではない。

スポンサーサイト

テーマ : 日記
ジャンル : 日記

コメントの投稿

非公開コメント

カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
プロフィール

awatan

Author:awatan
HN:江藤清通
かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

自営サイト
最近の記事
カテゴリー
リンク集
全記事表示

全ての記事を表示する

FC2カウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。