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道徳否定

古代と現代の思想がそれ以外の思想よりも価値があるとは思わないが、確かに古代の思想には思い切った発言が多く、その分だけ人の心を捉えるというのは理解できる話だ。先だって部屋の整理をしたとき、『沙門果経』(中村元など『原始仏典』第1巻)の写しが出てきた。これはいわゆる六師外道の教理を仏教側から説いたもので、なかなかスリリングな発言に満ちている。

もちろん私は異端の外道の方に引かれるクチであり、その中でも仏陀から激しく罵倒された(らしい)運命論のマッカリ・ゴーサーラがお気に入りだ。が、今回はプラーナ・カッサパの発言に注意が向かった。プラーナ・カッサパは道徳否定論者として知られている。これ自体は別に珍しくもないイズムではある。しかし彼の発言はなかなか思い切ったもので、あまりにも率直に道徳を否定していたので、我ながら読んでいて戦慄を覚えた。

〔自らの手で〕傷つける者、〔命令して〕傷つけさせる者、〔他人の手足などを〕切断する者、切断させる者、苦痛を与える者、苦痛を与えさせる者、……生き物を殺す者、……強盗を働く者……こういう者の行為は罪悪とはなりません。たとえ周囲が剃刀のように鋭利なチャカによって、この地上の生き物を〔切り刻んで〕一つの肉の塊り、一つの肉の山にしたとしても、それによって罪悪はなく、罪悪の出現はありません。……(65-66頁)



現在これほど明白に道徳を否定するのはなかなか難しい。権力への抵抗や反権力を食い扶持にする学者は大勢いる。しかしそれらの発言など上の言葉に比べれば児戯に等しい。この種の知的興奮を得られるのが過去の思想を扱う最大の喜びと言えるだろう。もちろん変な思想にかぶれて犯罪者になっては元も子もないし、私の場合、上の文献の原語が読めるわけでもないので、喜びも半減といったところだが。


ちなみに、私はこれに味をしめ(?)、松濤誠廉氏の訳になる『聖仙語録』(ジャイナ教側の文献。九州大学文学部創立四十周年記念論文集)を県立図書館で借り出してみたものの、訳語が高尚すぎて意味が分からなかった。


原始仏典〈第1巻〉長部経典1原始仏典〈第1巻〉長部経典1
(2003/02)
中村 元

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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