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演説

ふらりと本屋を訪ねると、コメンテーターか評論家か知らないが、「プレゼンを上手にする方法」のような書が売っていた。正直なところ、私はテレビをほとんど見ないので、その著者のコメントを聞く機会はほとんどなかったし、特に記憶に残るものでもなかった。だから本屋でその人の新刊を見ても、不信感を拭うことはできなかった。

で、なんとなく気分が優れないので、少し離れた本屋に行ったところ、アリストテレスの『弁論術』が売っていた。私には縁のない書物だと思っていたが、さきほどの新刊のこともあり、ちょっと読んでみることにした。有名な書物を未だ読んでいなかったというのは恥ずかしい話だし、本書の内容上、若い頃に読まないと意味がないもの故に、というか、若い人に指導してやらないと意味のないものだから、今の私には無縁とも思えたが、まあ余興で読んでみることにした。

『弁論術』そのものはなかなか面白かったが、読んでいてそれとは別のことばかりを考えていた。ギリシアもローマも、演説が多いなあ、よくこんなものを信用する気になるなあ、と。中国は広すぎて発音が違うためか、朝廷では演説(らしきもの)があったとはいえ、人々の心に訴えたのは演説よりもむしろ文章の方だった。中国には演説集は見かけないが、名論集はたくさん存在する。特に文章がやたらと残りだした宋代くらいから、しょーもない形式通りの論文が山のように出版され出す。『皇宋名臣奏議』とか、『歴代名臣奏議』とか、『名賢確論』とか。

それはともかく、他の人は知らず、私はあまり演説が好きではない。胡散臭いというのが一番の原因だ。演説は直接自分の目耳に入ってくる。とくに演説を聴くときは、その政治家の支持者が周りに多いから、一種の熱気のようなものがある(もし政治家の演説会に行ったことがない人は、ぜひ一度足を運ばれたい。でも変な立候補者のところには行かない方がいい)。

だからぼけーっと聞いていると、穴だらけの意見でも立派なように聞こえる。いや、立派なように聞こえる力強い歯切れの良い議論は、正しく感じるのだ。政治なんてどんな方法でもかならず欠点はあるんだから、それでいいのだ、といえばそれまでで、そう思える人はそれでよかろうが、私はそう思えない。だからどうしても演説は聴かないが、文章は読んでみるということになる。

ちなみに文章にも感動的なものがある。うまい小説はその代表例だろう。私も小説を読んで感銘を受けることがある。しかしそれは長くても一日二日の話で、短ければ数秒で頓挫する。ちょっといい話だからと思って何度かその部分だけ読みかえしたり、普段読んでいる書物を繙くと、すぐにさきほどの感動は薄れてしまう。

平たく言えば、「まぁ、よくある話だな」ということになり、つづいて「あそこの記述はあの場面を引き出すための恣意的記述だ」と思うようになる。もっといえば、感動させる為に書かれた書物にいちいち感動してやる義理はないし、感動する自分も癪に障る、という曲がった根性で感動を打ち消してしまう。で、改めて考え直してみると、大したことない、という結論になる。

あらゆる素晴らしい演説は、ぜひともすべて文章に起こして欲しい、演説の口調そのままの形で。

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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