スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

病んでます

歴史が面白いのは趣味だけで、研究などは全く白ける話だ。もちろんこれが対中戦略のための政治的な研究として行うならやりがいもある。つまりその歴史が解明されることで、日本人(人間でも可)に利益がもたらされるとは到底考えられないが、対外的問題を解決するために政治的な意味で歴史を研究するのは極めて価値がある。

日本人の中には、歴史は価値がないという人がいる。確かにその人の言う意味では正しいと思う。私も歴史にはなんの価値もないと思う。しかし外交上、歴史を用いて実益を処置する必要もあれば、それによって相手を煙に巻かねばならぬときもある。その時、歴史はそれ自体に於いて無価値であっても、その意味とは別次元の意味に於いて、我々に実益をもたらしてくれる。従って、そのような政治的な意味で歴史を研究するというのは極めて価値あることだと、私は思っている。

もちろんこういうと政治のために歴史的事実を曲解しようとしていると文句をいう人間が現れるだろう。しかし私はそれに対して敢えて言いたいのは、むしろ進んで曲解すべきだということだ。歴史に真実などない。あるのは紙に書かれた文字と現在存在する物だけだ。なるほど煕寧三年に死んだことが明白な人間を、敢えて煕寧元年に死んだと強弁するのは曲解だ。しても構わないが、すぐに論破されるだろう。しかし煕寧三年に死んだ意味は、我々が決めるのだ。

ある人の言葉の通り、過去は何も語らない、ただそこに佇むだけだ。そこに意味を与えるのは現在の我々なのだ。だからこそあらゆる時代を通じて、歴史は哲学あるいは神学の下に組み敷かれてきたのだ。なぜならば歴史だけでは意味を付与できないからだ。過去をいくら解析しても、なにも得られない。得るべき目的を与えられてこそ始めて歴史は意味を持ち、その得るべき目的は歴史の外に存在する。

歴史の本来的使命は、得るべき目的を達成するために古書を用いて権威を与えることにある。歴史を扱うもの自身が、みずから歴史の使命を探るなどは、驚くべき謬妄、甚だしき僭越と言わねばならない。本来的使命を忘れた学問に未来はない。

もちろん春秋学は神学であると同時に歴史学であるという、希有な存在である。

スポンサーサイト

テーマ : 日記
ジャンル : 日記

コメントの投稿

非公開コメント

カレンダー
10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
プロフィール

awatan

Author:awatan
HN:江藤清通
かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

自営サイト
最近の記事
カテゴリー
リンク集
全記事表示

全ての記事を表示する

FC2カウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。