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宰相織

Wikipediaに「元豊の改革」というのがあった。いわゆる元豊の官制改革のことらしい。いろいろ書いてあるが、宰相のところの記述が分かりにくい。

wikiさんにはこう書かれている(以下、コピペ)。

第三に宰相職の変更である。元豊の改革では外見上は唐制を継いで三省六部を立てるが、三省の長官(中書令・尚書令・門下侍中)は名前のみあって空席とされ、尚書左僕射(副長官)に門下侍郎(副長官)を尚書右僕射(副長官)に中書侍郎を兼任させてこの二人を宰相・副宰相として尚書丞(左右1人ずつ)をおいて、これまでの同中書門下平章事・参知政事に代わらせた。


副長官というのもよく分からないが、上の記述だと、元豊官制は以下のどちらかになる。

宰相‐尚書左僕射兼門下侍郎
副宰相‐尚書右僕射兼中書侍郎
その他‐尚書左丞、尚書右丞

もしくは

宰相‐尚書左僕射兼門下侍郎、尚書右僕射兼中書侍郎
副宰相‐尚書左丞、尚書右丞

参考文献を見る限り、おそらく後者のことが言いたかったのだろう。でも日本語で節と節をつなぐとき「・」を用いると読みにくい。特に最初の節の最後と次の節の冒頭が漢字だとよけいに分かりくくなる。ちなみにWikiの説明は間違っている。執筆した人は本当に参考文献しか見なかったのだろう。一度でも『宋史』宰輔表を見れば、副宰相に門下侍郎と中書侍郎のいたことはすぐ分かったはずである。元豊官制の宰執は以下のようになる。

宰相‐尚書左僕射兼門下侍郎、尚書右僕射兼中書侍郎
副宰相‐門下侍郎、中書侍郎、尚書左丞、尚書右丞
(*)各々一人。

ほんらい宰相は尚書令のはずだが、唐代の太宗が任じて以来、官名のみあって任命されず、宋代も引き続き尚書都省の次官である左右の僕射をもって長官の任に変えた。これは御史台における御史大夫と御史中丞と同じ関係にある。元豊官制もこれを受け継ぎ、宰相に尚書都省の次官(事実上の長官)を充て、それに三省の残りの二省である門下省と中書省の次官を兼任させた。さらに僕射を兼任しない門下省と中書省の次官、および尚書都省の事実上の次官である左丞と右丞を副宰相に充てた。このうち尚書左僕射兼門下侍郎が首相で、右僕射兼中書侍郎が次相とされる。

もっとも最近の研究によると、首相と次相の両者がいた場合(具体的には神宗末期の首相=王珪と次相=蔡確の時代を指す)、中書が高級文官の人事権を握ったため、中書の次官を兼ねる次相の実権が首相を越えていたとされる。したがって、次相と副宰相の中書侍郎が結託すれば、首相とはいえ簡単に政治ができない状況になる。これは蔡京政権の時代にも一時的に見られた。ただし哲宗以後、宰相が並置されない独相状態が多いので、その場合の中書侍郎(副宰相)の権限は、次相設置時に比べて落ちているはずである。

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