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お返事

コメントありがとうございます。秘密のコメントなので、お返事だけ。

私は標準的人間なので、巨悪に同調できても、小悪におびえるタイプです。ですから善事に消極的なわりには、悪事をはたらく「勇気」はありません。もっとも、あのする/しないはもう少し根本的なことで、「すればそれで終わり」というものでした。したらしたで他人様に迷惑をかけそうですが、それでも最小限度に抑えられるのではないかと思っております。ともあれ、あの種の記事にざわざコメントくださりありがとうございました。

ちなみに

>勿以悪小而為之、勿以善小而不為。(三國志蜀書先主傳、裴松之注)

なかなか立派な言葉ですが、実はこの種の議論、「悪」と「善」の定義が難しいのです。かつて王に忠誠を誓うことは「善」とされた。しかし今は「悪」でないまでも「バカ」だと思われている。ある人は国に殉ずることを「善」だという。しかし別の人はそれを「悪」だと考える。両者ともに基盤とする善悪の観念が違う場合、善悪でものを論じても解決しません。

なるほど井戸に落ちそうな子供を見てハッとするのは人間性情の自然な発露かも知れませんが、ハッとしない人間もおります。即座に利益で助けようと想念する人もいる。彼らを人間の外に出すのは論理上簡単なことですが、現実には難しい。無理をすれば恐怖政治になるし、一歩間違えればジェノサイドになってしまう。

なんでも善悪を論じたがるのは儒学者の癖のようなもので、これあるために彼らがいかに数多くの失敗を犯したことか。ある人にとって揺るぎない善であるものが、他者にとって守るに値しないものであることがいかに多いことか。儒学者の失策を見るにつけ、私は、善悪の議論ほど害悪なものはないと思っております。

もう一つ、私は朱熹を尊敬しておりませんよ。嫌ってはおりませんが。もちろん王守仁は嫌いです。その一派も。左派(現成派)は論外です。ちなみに王学左派は、いわゆる唯物史観から外しても、自由だ自然だとぬかしているその人間性そのものが嫌いです。

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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