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谷家の蔵書

大河ドラマで龍馬さんが取り上げられて、やたらと龍馬グッズが目にとまるようになった。それはそうと、龍馬の友達の武市瑞山の後輩(っぽい人)に谷干城がいる。件の西南戦争のとき、西郷率いる賊軍を熊本で押し返した人間で、なんでも龍馬を尊敬していたらしい。

後年、干城さんは学習院院長や農商務省の大臣をつとめたが、政府と意見が合わず、保守派の一人として在野で活動した。この点、同じ土佐出身でも、自由民権を叫んで有名になった板垣退助とは対照的だ。板垣さんの方は、当時の高知でもなにかと有名で人気者だった(と言われている)。干城さんも保守派の代表として著名ではあったのだが、どうしても保守というのは爆発的な人気がでない。せいぜい第2次世界大戦のころ、国粋的な意味で雑誌に取り上げられたに止まる。

その干城さん、明治以後も主君筋の山内家とはなにかと縁があったらしく、山内家のための家庭教師っぽいことをしていたらしい。そのため干城さんの死後、谷家の蔵書の一部が山内家に寄贈され、現在も山内文庫(戦前は東京の山内家に、現在は高知県にある)の中に谷家蔵書が存在する。

ただし私の調べた限りでは、山内文庫に吸収されたのは、谷家の蔵書の中でも学問的風味の強い書物が多く、例えば秦山の日記や垣守・真潮の紀行文など、個人的な著作物の一部は寄贈されなかったと思われる。いや、断定はできないが、戦前の論文に谷家蔵書としてそれら日記類が引用され、幕末の谷家蔵書目録にも記載があるのに、現在の山内文庫にそれはなく、また戦後になって谷家とは直接関係ないところに蔵書されている場合があるからだ。

それに干城さんは、谷家(正確には秦山以後の谷家)の直径ではない。谷家はおもしろい家で、長子相続を厳格に守っている。末っ子の秦山には、長生きした子供は長男の垣守しかいなかった。だから秦山の後は垣守が嗣いだ。そして垣守の後は長男の真潮が嗣いだ。しかし真潮の長男は早くに死に、次男も幼少とあって、真潮没後、真潮の弟で当時もっとも年長だった好井が後を嗣いだ。その好井は直ぐに真潮の子供を跡継ぎとするが、その子供が死んでしまうので、真潮の直ぐしたの弟・垣雄(真潮より前に死んだ)の子供を跡継ぎにした......

と言う具合で、谷家の家督相続は、人物が優秀か否かよりも、血筋を優先させていた。件の干城さんは、真潮の弟の好井の、その子供の景井(長男にあらず)の、そのまた子供に当たる。景井は妻に早く先立たれ、再婚もしなかったので、子供は干城と娘の二人しかいなかった。なんでも継母は子供にかわいそうだというのが理由だったとか。景井という人は学者としてそこそこ名の知れた人物で、その息子の干城も政治的に活躍した人だから、谷家の中の地位も高かったろうが、それでも傍系は傍系なので、谷家の蔵書を勝手に処分できたのかどうか。

いずれにせよ、著名人の書いた書物は、それ自体が数奇な運命をたどる。谷家の蔵書もまたその一つなのだろう。でも、誰が所有していても構わないが、なんらかの形で一般の人にも閲覧させてもらいたい気はする。もっとも迷惑なのは、学者には見せるが、一般人はお断りというやつだ。あれは学問にとって有害以外のなんでもない。どうせならその逆をやってもらいたい。


ちなみに秦山の兄貴の家の系統も、幕末明治にかけて政治家として活躍している。私は詳しくないが、その道では有名な人らしい。高知県には『高知県人名事典』という立派な本があるので、「谷」のところを調べてもらえば、系譜やら解説やらが充実している。ただしこの人名事典、新版と旧版があるので注意を要する。旧版も悪くはないが、新版の方が分量も多い。新版は高知新聞社から1999年に、旧版は高知市民図書館から1971年に、それぞれ発刊された。

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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