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梅堯臣の『碧雲騢』

前回のつづきということで、ざっとおさらいをしておくと、詩人として著名な梅堯臣には『碧雲騢』という書物があり、それは北宋の賢臣偉人を片っ端から非難したものだった。たしかに梅堯臣は官界で出世できず、不遇を強いられたとはいえ、がんらい品格の高い人だ。世間では彼ほどの人間がなぜこのような低俗な書物を著したのか、世間の人は訝しんだ。しかし何のことはない、魏泰なる人物の偽作だった。と、このようになる。

件の梅堯臣の『碧雲騢』は完本こそ残っていないが、『説郛』に一部が抜萃されており、現在でもその梗概をうかがうことができる。説郛本『碧雲騢』は叙1条+本文14条の全15条。『全宋筆記』第1輯にも収録されている。梅堯臣については日本のwikiに美しい紹介があるので、そちらを参照していただければよいのだが、少し留保の必要な箇所があるので、以下に補足しておく。

梅堯臣(1002-1060)、字は聖兪、宣州(江南東路)の人。詩人として著名で、現在でもその詩集『宛陵集』は愛好者が絶えない。また范仲淹、欧陽修、劉敞といった新進の政治家・学者・文化人と交友を持ち、時代の最先端を走った人間としても知られている。ただ本人の才能や人脈に比して、必ずしも恵まれた環境になく、その生涯はいつも貧乏との戦いだったという。

これについて、wikiには、梅堯臣は科挙に合格せず、恩蔭(親戚の恩恵)で官に就いたため、思うように出世できなかったと解説している。確かに恩蔭出身は科挙合格者に比べれば明らかに不利であるし、ましてや梅堯臣ほどの才人であれば、「もし科挙に合格していれば」との感を抱かないではない。

しかし北宋は科挙官僚だけが幅をきかせていたわけではない。恩蔭出身の政府高官も決して珍しくない。それに梅堯臣は召試をうけて進士出身を賜っている。その意味からすれば、梅堯臣は決して不遇ではなく、むしろ単なる恩蔭出身者よりも恵まれた環境にいたとさえ言える。

それにも関わらず梅堯臣が不遇だと思われたのは、その才能と人脈に比して出世できなかったこと、そして残された遺族も不遇だったからである。ことに梅堯臣の死の直後は悲惨だったらしく、友人・劉敞の行状には次のような自慢話が残っている。

梅堯臣は劉敞先生と旧知の仲だった。その梅堯臣が死んだとき、残された家族は生きる術もないほど困苦に陥った。先生はこの惨状を哀んだが、なんとも助ける口実が見つからなかった。梅堯臣は少し前、故・丞相の程戡のために神道碑を書いてやる約束をしていたが、書き終えることなく死んでしまった。これを知った先生は、梅堯臣に代わって神道碑を書いてやった。程氏が白金五百両を持参すると、先生は封を開かず、そのまま全額を梅氏の遺族に与えた。先生は軽々しく碑銘を書く人ではなかったが、梅堯臣とは特別の間柄だというので、あえて旧恩に報いられたのだった。


神道碑や墓誌銘は、死者の功績を称える碑文の一種で、宋代では能文家に書いてもらうことが多かった。それによって死者の名誉を高め、少しでも長く功績を世の中に留めようということらしい。と同時に、碑銘を書くことは、実は書く方の人間にとっても実りのある仕事だった。遺族から少なからぬ執筆料をいただけたのだ。欧陽修は当時から文豪として知られていたので、会ったこともない人間の墓誌銘・神道碑を多く手がけている。劉敞が碑銘を書かなかったのは、単にご自身の趣味と、お金に困らない身分だったからに過ぎない。

閑話休題。いずれにせよ梅堯臣は貧乏だった。しかも先輩の范仲淹、同年代の欧陽修や韓が順調に出世し、宰相や執政に登ったのに、自分はいつまでも地方官で、しかも貧乏の中に死んでしまった。梅堯臣は単なる詩人ではない。現在でも『十一家注孫子』にその名が伝わるように、政治・軍事関係でも一家言を持つ有為の才として世間でも認められていたのだ。これは不公平ではないか。だからこそ世間は疑いを持ったのだ。やはり梅堯臣の心にも醜いものがあったのかと。

さて『碧雲騢』は人物批評というには余りに低俗で、今風に言えば暴露本の類である。例えば当時名臣とされていた張士遜を評しては、「張士遜は宮中に女を入れて皇帝の歓心を買おうとしたが、諫官が批判の準備を始めると、さっさと追い払った」という逸話が書かれている。名臣の隠れた巨悪を暴くのではなく、どうでもいい悪事を暴露しただけの書物。そう、出世できなかった人間が、嫉妬で有名人の過去を暴いたような本なのだ。

実際のところ『碧雲騢』が魏泰の偽作なのか、それとも梅堯臣の真作なのか、杳として知れない。一部に梅堯臣説を採る人もいるにはいるが(邵博『邵氏聞見後録』巻16)、世間の評価では概ね魏泰の偽作説が有力なようで、葉夢得はその『避暑録話』で次のような解説をしている。

世に伝わる『碧雲騢』一巻は梅堯臣の作とされ、その内容は政府高官の隠れた悪事を暴いたものだ。范仲淹とて謗りを免れなかった。世間では、梅堯臣は范仲淹らと交友があったのに出世できなかった、だから怨んで本書を物にしたのだ、と噂している。しかし君子は人の美点を世に知らしめるもの。万に一も至らぬ点があったとて、それこそ「賢者のために諱む」というものだ。ましてや真偽の怪しいことを書き散らすだろうか。梅堯臣は人格者だ。そのようなことは決してすまい。後で聞いた話しでは、襄陽に住む魏泰なる男が書いたものとか。彼は梅堯臣と親戚だという。ならば魏泰は単に名臣に仇なしたのみでなく、梅堯臣をも謗ったことになろう。


人格の優劣でもって書物の真偽を判断するのは、いささか危険な香りがする。当時の人、しかも稀に見る博識として知られる葉夢得にして然り。もはや現在の我々に『碧雲騢』の真偽を確かめる術は残されていない。本書が梅堯臣の作でないならば、彼にとってはいい迷惑であろう。しかし、もし本当に梅堯臣の作であるならば、彼はその人となりによって、ついに天下後世の名士賢人をも欺し仰せたことになる。

賢人の小悪を暴いた『碧雲騢』は確かにつまらぬ書物だ。しかし、そこからは浮かばれぬ人々の怨嗟の声が聞こえてくる。魏泰の偽作であろうと、梅堯臣の真作であろうと、その声をかき消すことはできない。

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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