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臣子弟のわきまへ

谷秦山の息子・垣守の著作。復刻本の少ない垣守にあって、めずらしく『勤王文庫』第二編なる戦前の書物に論文が収録されていたので、テキストデータにしてみた。丸括弧は原文のルビ。編集者の付したものか否か不明のため、そのまま残した。本文中、誤植と思われる箇所もあるが、私の能力の関係で、二つの例外を除いて注記は避けた。ただし原文の傍点は省略し、分段も内容を鑑みて適宜改廃したほか、句読点を加えた場合は〔〕に入れた。

*以下、本文。

そもそも天人唯一(てんじんずいゐいち)の理を考ふるに、君父師の臣子弟を愛育し、臣子弟の君父師を尊崇するや、たとへば昊天(びんてん)の大地を蔽(おほ)ひ、大地の昊天を戴(いたゞ)くが如し。たとひ天上より大旱霖雨のなやみを下し、雷火龍風の怒を起し給ふとて、地下此が為に怨憤(ゑんぷん)を表はすの道あらむや。たまたま、地震などいへる地につきたる變あれども、いはゞ臣子弟の身によからぬふさがりのあるが如し。一度ひらけて後は長き害となる事なからまし。されば、臣子弟より君父師を 天といへるは、深き理なりといふべし。されど、父子の中はたとひうきつらき憂(うれひ)ありとも、同じ氣血の分れぬるものから、親のなだめ、子の睦(むつ)みも通(かよ)ひ易(やす)く、なべての人にもさばかりふみ違へて、禽獸の境に落つる理の事は稀なり。まして日本(やまと)、西土(もろこし)の書に父子の道を詳に説きつくすのみの親を持ち、子を養はぬ人もなければ、殊更に禿筆(とくひつ)に委(まか)せずして、此に洩らし侍りぬ。

君臣子弟の交りは、養ひを受け、教を蒙りぬるの切(せち)なるを、嬉しと思へど、氣血の通ひなくてや、一度離れて會ふこと稀なるためしも、珍らしからず。されどかかるたがひめは、君父師同じ理にして、天地に根させるの道なりと、明らかに辨(わきま)へ知らぬの誤ならまし。あるは君に仕へて、諫(いさめ)行はれず、志あはざるといへるは、唐土の道にして、日本の人の心にしもあらず。諫を容(い)るるも、志を盡すも、思兼神(おもひかねのかみ)の長鳴鳥(かがなきどり)を集め、兒屋根命(こやねのみこと)、太玉命の祈祷(ふとだまのみことのみいのり)を盡し、鈿女命(うずめのみこと)の俳優(わざをぎ)を行ひ、手力雄命(たぢからをのみこと)の日神の御手をとりて、石窟(いはや)より引出し給ふ如く、純一(じゆんいつ)の誠を以て、己が身をありとも覺えず、思の儘(まゝ)を、つくろひなく表はす程ならば、など君に得られぬの患あらんや。なべては、西土の書に見馴れ、聞き馴れて、臣下は君に仕へて、諫を陳(の)べるが當り前と許(ばか)り覺えて、己が身はらひとやらいへる如く、たまたま思ひよりし事を、君に告げしとて、君の惡しきを語りて、己が身をてらひ、君の用ひ給はぬ時は、かしみづを受くべしと、兼ねて企てぬるは、われと凶相をもち出でぬるの類なるべし。用捨は君にありて、去就の臣より奏すべき事にあらず。たとひ、己が身に毛筋程の過なくて、三至の禮にかかり、不測の罪に落ちぬるとも、聊、怨み怒るの心なく、嬰兒(みどりご)の母を慕(した)ふ如く、つめられ、たたかれても、泣く泣く、膝に這(は)ひかかる思をなして、七年の病に三年の艾(もぐさ)を求むるの、をくれながら己が心身を愼みて、再び日月の光を享(う)けなんことを願ひて、音もなく、香もなきを、忠臣の操とはいふべし。

菅相公(くわんしやうこう)(○道眞)の恩賜の御衣の餘香を拜し、實方(さねかた)中將の臺盤一明(だいばんいちめい)の供御(くご)を思給ひふ(*1)など、臣たる者の鑑(かゞみ)ならまし。彼儒學を唱へ、白眼にて、世上を見るの輩は、國體を辨へず、西土の道を偏執して、出處去就を己が儘になる事と思ひぬれども、聖賢の語にも、「仕へては則ち君を慕ひ、君を得ざれば則ち熱中すともいへらずや。をしのぼせては均幽操(きんゆうさう)(*2)の天王は聖明なりの語を何と心得ぬるにや〔。〕君に事(つか)へて禮を盡す、人以て諂(へつらひ)と為すの聖語など、よくよく味ひ見て諫むべきに當りぬとも、上と下との禮儀を亂らずして、宜しく、人は用ひさせ給へ惡しくは愚なるひが言の罪を許して、惠を垂れさせ給へと親に對ひて、言葉を盡くし、子を誡めて、涙を落すことなるぞ、誠の忠なるべけれ。君の恥は己がはぢ〔、〕罪なくて君に棄てられぬるは、己がなやみよりも君の善からぬ名をや、とり給はんかと思ふ程ならば、世にいへる何事も、花とうけて、拜みたをすの罪もなく、又は罪なくて、配所の月を見るの患もなからまし。君の臣をあひしらひ給ふ事は、明らさまにいふも、恐れあらば、筆をさしをき侍りぬ。

さても師弟の交をいはば、臣の君に仕ふるとは、少しく理の違(たがひ)めありぬべし。初めて學ぶ時に、よく道藝のそなはりたる人を選びて、其門に入るべし。たとひ、道を辨へ藝に達しぬるとも、生れつき腹惡しくまして、言と行の違ひある人ならば、必ずしも、師と頼むべからず。鮑魚(ほうぎよ)の市にたちまじればけがれの香に染(そ)むる譬、忘るべからず。されど一藝一術の師といふものは、その藝術の優れたるを學びて、その人をば取らぬといふも、一つの理あるべき事なれと、それすらよく心をつくれば、道に缺けぬる人を君親の如く尊びぬるは、うるさき事ならずや〔。〕

彼豐原の何某が、源義光の東の陣に赴きしを、慕ひ行きて樂(がく)の傳授を受け、博雅(はくが)三位の夜な夜な、通ひて小幡の盲僧(まうそう)が秘曲を聞き得たるの類は、もとののせちなる千歳の後までも、ふかめしきためしなるを、源義經の鬼一法眼(きいちはふげん)の兵書を盗み取り、根岸兎角が飯篠長意が病を見すてし類は、如何なる心にや。たとひ驪龍頷下珠(りりうがんかのたま)なりとも、盗むの名ありて、何の寶とするに足らむや。たとひ萬人に敵するの妙手なりとも、恩を受けし師に背きて、運を聞くの時あらんや。藝術に執心(しふしん)の深きものは、罪許しぬべしといへるは、深く辨へ明らめぬ、ひが言なるべし。今の學術藝能を好む人には、適々、全服をもて一家の秘奥を傳はりあるは、樣々の謀計を企みて、盗み出しかすめ取るを、賢き事にして言行も正しからず、傳來も確ならぬ師門を立てぬるもありとかや、いかに昇平百年を經て、道も明に藝も詳なりとは雖も、かくまで淺々しく、己が力を盡すの誠もなくて、したり顔に重き事を取りはやしぬるは、いふにも堪へぬ罪咎(つみとが)、恐るべく愼むべし。

さはいへ師を撰ぶ時に、かくとも知らで、本意ならぬ人を師と頼み侍りぬとも、己が幸の薄きを痛みて、聊、逆ひ戻らす一字一句の教を受けぬとも、其恩をば忘れざらん事を思ふべし。いはけなき時、辨へなく、異端の道に入〔、〕年たけて、惡しき事を覺らればとて、正しき道にふみかへぬるを、人に誇り、今まで仰ぎ仕へし佛をも、僧をも、口にまかせて惡し樣にきたなく、罵り笑ふは、顔の厚きとやいふべき。ゑよて(ママ)うけられ侍らねまして、道の筋めのよしあしに、心つきぬる程になりぬれば、師を見限り、遠ざかりて、昔思はぬ惡名を師に負(おは)せて、己を立てなんとするの類は、馬牛にして、簪裾(しんきよ)するにたとへぬとも、道たるにはあらじ。たヾ願はしきは、火々出見尊(ほゝでみのみこと)の鹽土老翁(しほつちのおきな)のさとしを、聞かせ給ひ、源義家の江帥(かうのそち)の許を、腹立つ心なくて、軍傳をうけ、平泰時の栂尾明慧(とがをのみやうえ)上人の訓導をうけひきし如く、聊、己が慢心雜念を加へず、純一の誠を盡くして、示教を仰ぎ、級(しな)を越えて、高遠に馳せざるを肝要とすべし。師弟の交は、西土の書に見えたるを則として、心喪を服するに到らば、彼天地に根させるの理に、違ふまじ。

師の弟子を教ゆるの事は、その人にしもあらぬ身にて、明ら樣に筆を動かし難くてさし置きぬ。

抑、君父師に仕ふまつるの道は、辱(かたじけな)くも神國の大眼目にして、夫婦長幼の道も、悉く、此内に兼ね備はれり。されど涙つきて血をしぼるの實情、誠心なき人には此大事をつけがたし。愼むべし恐るべしといふことしかり。

    名月にふむべき影もなかりけり。

   元文三年戊午七月三日
谷丹四郎垣守草稿     


(*1)「思ひ給ふ」の誤。
(*2)「拘幽操」の誤。

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