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『尚斎先生雑談録』

昨日の建国記念日、なんとか『尚斎先生雑談録』を読み終わった。三宅尚斎は谷秦山と神道をめぐって論争した人物というので、平生の所感を記した文献に目を通して、尚斎の神道理解を抑えておきたかったのだ。今回は底本に国会図書館所蔵の乾坤二冊本を、校本に蓬左文庫の道学資講所収の四冊本を用いた。問題の神道関係は後日のおたのしみにとっておき、今日は記念に『雑談録』の感想でも書いておきたい。

三宅尚斎(1662‐1741)は、山崎闇斎の弟子として、いわゆる崎門三傑の一人に数えられる。ただ残る二傑の浅見絅斎と佐藤直方が闇斎に長らく師事したのに対し、尚斎が闇斎に接したのはその晩年二年に過ぎず、闇斎没後は絅斎と直方に兄事した。そのため三傑とは言いながらも、絅斎・直方と尚斎との間には少しく扱いに差が生じる。ただ崎門の弟子がつぎつぎ死没する中で、八十の齢を保った尚斎は、闇斎の直弟子として崎門の長老と仰がれただけでなく、朱子学の基本書を簡易明白に解説したおびただしい書物を残したため、三傑の一人に数えられることになった。

本書は尚斎の言葉を高弟・久米訂斎(1699‐1784)が記したもので、その期間は享保七年(1722)から元文四年(1739)、尚斎六十一歳から七十八歳までの記録とされている(道学資講所収本は元文五年七十九歳までの日付。ただし収録文章は同じ)。尚斎の主著『黙識録』の序文が正徳五年(1715)に書かれ、本文最後の日付が戊申(享保十三年、1728)であるから、『黙識録』後半が『雑談録』の前半に重複する関係にある。『雑談録』の途中に「『黙識録』ハ大切ナルコトヲノミ擇出シテ書置クナリ」の記述があるのもそのためだろう。

『雑談録』にはいくつかの本が存在する。よく見かけるのは無窮会の平沼文庫本だが、私は会員ではないので閲覧は諦め、今回は国会本と道学資講本を用いた。両本を厳密に比べたわけではないので、正確なことは言えないが、全体的に道学資講本の方が誤植が少なく読みやすい。しかし必ずしも国会本が劣るとわけではなく、道学資講本を補い得る部分も少なくない。特に国会本は多くの漢字を充てており、私のような学の浅い人間には大助かりだった。また繋年にも両者出入りが多い。その他、若干ながら収録条数に多寡がある模様。

本書の内容は、書名の如く、尚斎の学問的雑談ばかりが並んでいる。それも前半こそ尚斎のふとした言葉を多く収めているが、後半になるにつれ、訂斎の質問や意見が多くを占めるようになり、尚斎の言葉は「その通りだ!」とか、「分かってる!」とか、訂斎を褒めるためにとってつけたようなものが目に付いてくる。これこそ訂斎の訂斎たる所以なのか、それとも単純に訂斎の筆になるもの故なのか、私は寡聞にしてよく知らない。

さて『黙識録』だけを読んだ限りでは、尚斎の学問は冷静緻密で少しの奇癖もなく、一見すると平凡に見せるほどに自分を絞り込んだもののように思われる。いや、『雑談録』でもそう思いはした。が、読んでいる途中で、なんとも尚斎はいやなオヤジだなと思うようになった。崎門らしいといばそれまでながら、なんというかね、箸の上げ下げも朱子学というか、日常のささいなことで説教したがるというか。例えば:

この頃も瓦焼きを見るに、あの火がきびしく焼くで、土がどんと成就して瓦となる。それに応えぬは却って割れる。これ則ち「火、土を生ず」なり。ちょうどあの如く、父が厳しく教えるで、子がモノになる。それに応えぬは、割れ瓦のようなものなり、と思はるる。(難読箇所は改訂した。また片仮名は平仮名に直した)


............なんで瓦焼きで教訓を引き出すのか。お前は風呂屋のオヤジか!っと言いたくなるようなものも多々あった。でも、息子が死んで跡取りがなくなったあと、急に精彩ある発言をし出すとか、そういうところは人間味を感じた。あと、すごく常識人のところとか。

八十を数える歳月を厳しく生きた学者の言葉だけに、多少の問題はあるにせよ、『雑談録』一つ一つの言葉は叡智の結晶であると言ってもいい。それゆえ、このまま消えるにまかせるのは余りに惜しいと思う半面、尚斎の言葉はあまりに学問的過ぎて、時代が変わり、言葉も遷った現代では、もうこれを利用するのは難しいと感じもする。もちろん現代の人間が尚斎の言葉を説明して見せたのでは、原文の億分の一の価値もないだろう。尚斎の言葉は原文のままでなければ意味をなさない。

でも、次の言葉は笑った。江戸時代もこんな表現をしたのね。浅学ゆえの役得か。

易は潔静精微と云う、さっぱりちんとしたものがとんと基本なり。あれが天地造化なりの、さっぱりちんとしたものを書つらねたものなれば、今吟味するにも、その意でなければうつらぬなり。ここは甚だ難しきことぞ。


「さっぱり・ちん」って。

以下、個人的名言。

人生およそ百年なれば、タジタジしたることにては役に立たぬことなり。ずんと思い切ってして見るがよきなり。そこでならぬことは、思い切るべきことぞ。わずかの年を空しく過ごすことなかれ。(同上)

およそ人を相手にしてとかく言うから、説が粗うなりてくるぞ。聖賢を目当てするものが、人を相手どってとかく云うことはないぞ。(同上)

生死・得喪・利害。ここが命のいるところなるが、人々ここで多く誤まる。それゆえ世間の者から見ては、この方どもが、養子にもいかず、金を持つすべも知らいで、貧でおると、謗れども、この身がこれで安いということを知らぬ。命を知らざるは、君子とすることなかれじゃなり。

順利(久米訂斎)云う、「絅斎先生の『太極柱記』、恐らくは名分を解くこと、大過に似たり」と。先生曰く、「あまり云い過ぎに似たり。すべて分金秤上のつり合いを過ぐと、後世害あるゆえに、朱子などの全体平易穏当にお説きなされて、みじんかたずれることなし。順利など、はずむものあるより、惣体説がいい過ぎになる」と。

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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