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雑感二話

しかし秦山と尚斎は違うなあ。『雑談録』を読む限り、尚斎もなんとなく神道家(神儒兼学)の心情を理解していたように思えるが、性格的なものか、受け付けられなかったのだろうな。

秦山は「日本は神の国だ!」的なことをよく口にするが、あれは文字どおりの意味であるとともに、「日本人なんだから、日本のいいところは積極的に褒めたい」的なものもある。だからもし周辺の学者がみな「日本はすばらしい」的なことを言っておれば、秦山もことさら日本を力説しなかったかもしれない。いや、熱い人だから、それはそれで感動して余計なことを言ったかも知れないけど。

でも尚斎はそういう風には思わない人らしい。学者がまっ先に問題にすべきなのは真理であって、ローカルな問題はそれに従属する。その真理を最も正しく指摘し得たのは朱子学であり中国だから、日本人だろうと何処の人間だろうと、まずは朱子学を学び、中国を学ぶのだ、ということになる。

もちろん真理に照らして日本にも正しいところはある。だからそういうところは褒めていいのだが、もしそこを褒めると、真理に非ざる日本の悪しき部分も褒めたように見える恐れがある。それなら日本など褒めるに当たらない。そうでなくても朱子学によって真理は完備しているのだから、いちいち神道なんぞ持ち出すと、かえって害がある、とまぁ、こういうことだろう。

私の性格は概ね尚斎に近い。だからこそ、個人的な興味を真理のごとく吹聴する学者を見ると、心の底からイライラする。しかし自分にないものを求めるからか、それとも生き様が美しいと思えるからか、この両人を比べた場合、人間的に魅力を感じるのは圧倒的に秦山の方だ。尚斎も立派だと思うが、人間的に偉大だというよりも、学者として立派だというに止まる(ような気がする)。もっともこれは、私の年齢から来るものかもしれないが。


それはそうと、木斎と秦山と尚斎の闇斎入門時期を調べるべく、せっかく『木斎紀年録』を捲ったこととて、ついでにざっと目を通してみた。改めて読んでみると、なんというか、こう言うと木斎先生に申しわけないのだが............すごく漢文が下手だな。何度も何度も同じ漢字を続けるは、滅茶苦茶な構文を使うわ、有名な学者の割りには下手っぴだった。とはいえ、自分の力量を知っていたのか、無駄に難読漢字を用いないところには、好感が持てた。

真潮さんの『北渓集』を読んだときには、不必要な難読漢字を多用していて面倒くさかった。もちろん中国の駢儷文には、なにこれ?みたいな漢字も多いが(私レベルだとね)、あれは普通に使われているから気にならない。真潮さんの場合は、文章の書き方とか表現の巧さからして、あきらかに不必要な難読漢字を用いていたので、無理に難しい漢字を使いたがる中学生を見ているような気がしたものだ。今から見れば、難しい漢字を使えば立派なわけではなく、重要なのは内容だということになるが、当時とすればそれも致し方なかったのだろう。

ちなみに『木斎紀年録』は遊佐木斎の自伝的書物で、その誕生から死ぬ半年前までの記録が残っている。『木斎紀年録』を読む限り、とても波瀾万丈といえる人生ではないが、誕生から学問修行、出仕、昇進、挫折、神道との邂逅、晩年の熟練した境地まで、学者の生涯として読んでいておもしろい。

尚斎の『雑談録』は不必要な条文が多く、そのままでは現代人の読書に堪えられないが、『木斎紀年録』なら趣味人には楽しんでもらえるのではないか思う。もちろんその「趣味人」の範囲は限りなく狭いので、とても一般人の興味の対象にはならないだろうけども。そして読んでもらうには日本語に訳さなければならないのだけれども。

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