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百年後の友・劉敞

北宋の中頃、無類の博識を誇る劉敞という男がいた。祖父以来、三代の政治家一家に生まれた彼は、自身も難関の科挙をやすやす三番で合格し、若い頃から経学だの論文だの道徳だのと、ほうぼうで名誉を擅ままにしていた。それのみではない。彼は謹厳勤勉、ほとんど隙のない生活を送り、酒を飲み過ぎただけで噂になるほどの超真面目人間だった。

生まれがいいだけでなく、己の才能もあり、さらには真面目ときては、さぞかし将来が楽しなことだろう。たしかに彼の出世は早かった。科挙三番の影響も少なくないが、とんとん拍子で出世し、あと一歩で翰林学士というところまでこぎ着けた。翰林学士の次にはもう大臣の椅子が見えている。

ところが、劉敞はここで人生の罠にはまってしまった。彼はあまりに多くのものを生まれながら持っていた。タダで手に入るものほど、価値のないものはない。努力して買えばこそ、失いたくないのだ。劉敞にとって、ゼニもコネもチイも、意に介するほどのものではなかった。

宰相を向こうに回しての歯切れのよい批判。長と幼とを問わぬ真面目一点張りの非難。自分が正しいと思えば、何でも言動に移してしまうのだ。顰蹙を買っているのは分かっている。でも、だからどうした。俺は正しい。自分の地位がやばいのも分かっている。でも、だからどうした。地位がなんだ。ということで、いつしか非常に迷惑がられる人になっていた。

そこで宰相は嫌がらせのつもりか、なかなか劉敞に翰林学士のポストを与えなかった。しかしそれで引っ込む劉敞ではない。世間と妥協なんてばかばかしい。長いこと待ってもポストをくれないものだから、「翰林学士?なれないならいらないよ、そんなの」とばかり、さっさと地方に出て行ってしまった。

この判断が善かったのか悪かったのか、劉敞はその地方で病気に罹り、都へ還ってはさらに悪化させ、そのまま数年後に死んでしまった。もちろん翰林学士にはなれなかった。将来を嘱望され、あわよくば大臣の椅子までもと思われた人間にしては、あっけない最期だった。彼の死後、先輩であり、その成長をしかと目にしてきた欧陽修が、その惜しまれる死に情緒あふれる祭文を書いた。

劉敞は不遇をことさら嫉む人ではなかったが、なにかしら心に言いしれぬ寂しさがあったらしい。自分は正しいはずだという、傲慢なまでの信念があったのだ。そこで彼は家人にこう言い遺したと言われる。――「私の文集を軽々しく世人に見せてはならぬ。百年の後、世の中の是非が定まり、私の理解し、私の書物を必要だという人が現れたなら、そのとき出してやれ」と。百年後の知己に、全てを託したのだ。

さて、劉敞が没して百年後、既に南宋も半ばにさしかかろうかという頃、彼の文集はどうなったのだろうか。この時代、劉敞の名声は高かった。経学の大家として、天下の名士として、彼の名は天下に鳴り響いていた。彼の自負は正しかったのである。そして件の文集もまた、細々とではあるが世の中に流れていた。しかし多くの人々にとって、彼の文集は目に見ぬものだった。その族人・劉清之ですら、各地をめぐってその文集を探しながら、目にすることができなかった。そして宋から元を経て明に入ると、劉敞の文集は、百年の後の知己どころか、いつしかそれそのものが世の中から消えていった............

それから数百年後、清での出来事。

李穆堂なる男がいた。ある日、朝廷に出仕したときのこと、部屋の隅に積まれた薄汚れた書物の束をみつけた。不審に思い開いたところ、なんと『永楽大典』なる明朝の類書だった。頁を一枚めくるごとに、彼の頬には冷や汗が伝った。そこには彼の目にしたことのない、いや、彼だけではない、当時のだれもが目にしたこともない、既に失われたはずの書物が夥しく存在したのだ。李穆堂は仕事のあいまに寸暇を惜しんで『永楽大典』を整理し、輯佚すべき書物の目録を作り、『永楽大典』の重要性を主張した。

この李穆堂の働きを嚆矢とし、清廷に『永楽大典』見直しの動きが高まり、ついに『四庫全書』編纂時に大規模な輯佚作業が敢行された。いわゆる永楽大典本である。そして、その一つに『公是集』があったのだ。清廷の臣は劉敞の功績を没しなかった。大義凛然たる著述として、劉敞の『公是集』は『四庫全書』に収録されたのだ。劉敞の予想すらしなかったであろうかたちで、彼は知己を得たのだ。

実に劉敞が没してより七百年、ようやく『公是集』は世に認められたのだった。


*以上、失敗作。機会があれば全面的に書き直す。

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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