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仁宗の『洪範政鑑』

性格にもよるのだろうが、歴史を扱う研究に手を染めて、それを棄てきれずにズルズルしていると、珍しい本というのに興味が出てくる。私も、驚くほど狭い範囲だが、そういう趣向があるらしい。明代のような凶悪な時代の書物は見たくもないが、宋代の書物というと、使う必要もないのにすぐ興味が湧いてくる。

一ヶ月ほど前、サイトのリニューアルをしているころ、なんとなく術数類に興味をもって例のごとく『四庫提要』を捲っていた。「どの分野でも明代はだめだな~」というステキな偏見をもって読んでいたところ、存目の中に北宋第四代皇帝の撰という『洪範政鑑』なる書物があったことを知った。存目というのは、『四庫全書』編纂のとき、朝廷に集められた書物の中、同叢書に収録する価値がないと判断された書物を指す。

存目の書物はボロクソに貶されるのを常とするが、本書は皇帝の著書ということもあってか、ずいぶん手ぬるいコメントが附されていた。すなわち――「本書は『尚書』洪範篇に即して、いちいち歴史的な事柄を持ち寄り、政治の得失を考えたもので、その態度は謹厳実直、まことに称すべきものがある。とはいえ、態度は立派だが、内容的にはさして現在の政治に裨益するものがあるとも思えない。そこでこの度は存目に入ってもらうことにした云々」と。

ね、手ぬるいでしょう?これが明代のだったら、「こんな恥ずかしい本は見たことない。もしかして名もないクソのような身分の低い奴の書いた偽作じゃないのか?」みたいな書き方がされるのに。ま、明が貶されるのは胸がすくのでいいとして、この『洪範政鑑』はどうにも気になった。

宋代の書物が現存するか否かを分ける境目の一つに、『四庫全書』に収録されたか否かというのがある。もちろん『四庫全書』に収録されなくとも現存する書物はあるし、『四庫全書』に収録された書物以外の板本もたくさんある。しかし本書はいわゆる永楽大典本で、清代中期に既に板本がなく、四庫官が『四庫全書』を編纂するためにわざわざ『永楽大典』から抜萃したものなのだ。これ以後、『永楽大典』は大部分が散佚してしまったので、今となっては、『四庫全書』に収録されていなければ、永楽大典本を読むことはほとんど不可能といえる。

ということで、せっかく清代の中頃まで残っていた本なのに残念なことだ、どうせなら明代の王守仁の著作でも存目に落として、こちらを入れてくれればよかったのにと、偽らざる心で嘆いたのだった。

ところが、なんやかんやでいろいろあって、『続修四庫全書』を調べていたら、どうもこの『洪範政鑑』が収録されているのを知った(たぶん『存目叢書』にもあると思う)。ここで私の悪い癖が発現して、これはぜひ見なければ!という、論理的につじつまの合わない無理がまかり通り、つい最近、『続修四庫全書』を収蔵している大学に見に行く羽目になった。......羽目ってのも妙な言いぐさだが、私の理性は私にそう訴えかけてきたのだ。

さて『洪範政鑑』そのものはすぐ確認できた。知っているところに行ったのだから当たり前だが、こういうときには間の悪いことが重なって、そこだけ誰かが借りていたとか、そこだけ乱丁があったとか、そういう憎たらしい神さまが降ってきそうなのだが、幸か不幸か、今回は見に行ったとたん、全文を右から左まで、きっちりと確認できた。そして分かった。この本、やっぱり存目だわ。

............ざっと見た瞬間、私の頭に浮かんだ感想は、「この本は『尚書』洪範篇に即して、いちいち歴史的な事柄を持ち寄り、政治の得失を考えたもので、その態度は謹厳実直、まことに称すべきものがある。とはいえ、態度は立派だが、内容的にはさして現在の政治に裨益するものがあるとも思えない。まぁ、存目が妥当だろう」と。四庫提要にはいい加減な解説も少なくないが、今回はまったくもって仰る通りだ。

簡単に説明すると、『洪範政鑑』は『尚書』洪範篇を軸に、その災異(人間の不祥事に対応する天変地異)に相当する歴史的事実を、『史記』『漢書』以下の歴史書から抜粋しただけのもので、特別に気の利いたコメントがあるわけでも、宋代の政治に対する皇帝の抱負が述べられているわけでもなんでもない。ただ淡々と歴史書から事実が抜粋されているだけだ。ちょうど『漢書』五行伝から劉向やらのコメントを省いたような本なのだ。

たしかに謹厳だ。それは間違いない。こういうおもしろくもなんともない作業を、黙々と行って、自分の身を引き締め、正しい政治を行おうとした心意気は立派だ。ただ成果がぜんぜん出なかっただけで。しかし、それだけに過ぎない。特別に書物としてのおもしろみもはないし、もちろん価値もない。こんな書物は珍しいだけで、残しておく必要はない。四庫官が存目に落としたのは頗る見識ある態度だったといえるだろう。

本書を利用して、本書を利用しなくても十分説明できるはずの、宋代史の一コマを説明することはできるかもしれない。腕のある学者の手にかかれば、ゴミクズのような本でも黄金の輝きを放つ。斯くの如き価値ある書物だと声高に叫ぶこともできる。しかし本質的に価値のない書物は、書物としての存在意義を維持できない。かりそめの詐欺行為で黄金の輝きを得たとしても、それはまやかしに過ぎない。いずれのときにか、じつはただの金のメッキに過ぎなかったことがバレるのだ。天下後世いずくんぞ欺くべけんやである。

ということで、見られたうれしさは、見たのちの悲しみに取って食われてしまったので、かわりに毒でも吐いて、この話しを閉じることにしたのだった。

おしまい。


ちなみに『洪範政鑑』は永楽大典本以外にも板本が残っていたらしく、現在ではいろいろな形で流通している。いちど存在を知ってしまうと、余計な情報は自然と手に入る。今となっては知らなかったことの方が恥ずかしいくらいだ。

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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