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増補(終わり)

かまってもらえているようなので、もう少しだけ所感を書いてみる。とはいえ、さすがに何度も申し訳ないので、ブログに書くのは今回で最後にする予定です。(昨日、更新して寝たら、下書きになっていた。確認はするものだな。)


少し話しはそれるが、『要説 上総道学の研究』(塚本庸氏執筆)という50頁弱のA5冊子がある。いろいろあって親切な方に紹介をいただき、あわせて入手の労をおっていただいたものだ。なんでも上総国の山武市歴史民俗資料館で発行している紹介資料らしい。

本書は研究と銘打たれている。しかしその内容はほぼ「上総道学の歴史」といってよいものだ。たしかにこれは歴史だと思う。その地に住む人々が、その地の偉人を顕彰するべく、過去の偉人や偉業を表彰しているのだ。すなわち儒教から始まり、日本の儒教、そして闇斎学、そして崎門三傑、佐藤直方、藤門三子(稲葉迂斎、野田剛斎、永井隠求)を経由し、黙斎以下の学脈が語られ、近代以後の継承者をもって話しを結んでいる(付加的に最近の黙斎継承についても語られている)。

とはいえ、この「歴史書」を執筆するには、この順序と逆の過程が必要だったはずである。すなわち最近に活躍した人々がおり、その先生がおり、そのまた先生がおり等々と遡ることで径路が導かれ、そしてそれを逆に説明し直すことで、上の説明を作るのだ。これは中国式の歴史叙述によくある方法で、日本でもこの種のものは珍しくないし、近代以後の歴史学もこの手法をよく取っている(というか、他の地域の歴史書は原典で読めないので分からない)。

私から見て、本書にはたしかに歴史が書かれていると思う。歴史とは本来このようなものだとも思う。自分の存立基盤を過去に求め、それを遡り、一脈の流れを作る。そしてその歴史の一番新しいところに自分が立っていること、あるいは自分が過去に繋がっていることを確認する。確認することや繋がっていることに意味を感じるから、こういう歴史が作られるのではないかと思う。だから現実が全てだというよう想念する人は、歴史を必要としない。また歴史がそのようなものであれば、そこに属さぬ人々にとって、簡単に史料的に否定できるものであることも、当然だと思う。歴史はそれを作り、その歴史を共有できる人間にだけ、正当性を保持し得るのだろう。

そうは思いつつも、私には囚われがある。一つには、歴史じしんが何かを語るはずだという誤謬、換言すれば資料を解体すれば私の主観を離れて何か出てくると思う誤謬。二つには、自分個人を離れた集団の歴史が存在するという誤謬。三つにはあらゆる人を是認せしめる普遍的な歴史が存在するという誤謬。そして私はこれらを誤謬だと思うにも関わらず、なぜかこの誤謬を追求しようとする。矛盾も甚だしい。自分で前提と結論を否定しておいて、その前提と結論を証明しようとするのだから。

なぜこんな矛盾をおかすのか、はっきりした理由は分からないが、心当たりという意味で、私が子供の時分は国民国家が強かったが、大学に入った頃に否定され、大学院にいた頃にそれも無意味になり、しかも現在にいたるまで確乎とした生活基盤を持っていないせいではないかと思う(まぁ、本当に確乎とした生活基盤というものが存在するかどうかは疑問だが、世間一般の意味で)。そして付属的に、真理や客観的などの価値がのさばっていたかつてから、それが否定された現在に遷ったというのもある。私は変人なだけで、才能的には平々凡々な子供だったので、ふつうにそう信じていたし、考えが変わっていった(ように思う)。

そういう径路を反映して、頭で否定して体がついていかない、という、ただそれだけのことが私に起こっているのではないかと思う。ただ「学問をやったバカは、やらないバカよりたちが悪い」という格言が当たっているのか、なにかしらん、へんな理屈をつけて納得しようとするし、またややこしいことに、人の知らない学説を持ち出して、この分野はこうだ!という迷惑なことをするのだろう。

それが迷惑行為だと分かっているから、普段は口に出さない。しかしそういう感情はたまっていく。だから口を漏らすくらいに止めていたものが、あるとき主題となって飛び出てしまうことがある。一度出すとすっきりするので、しばらくは沈静化する。なんとなく汚い表現になったが、まあ、そんなところだと思う。

ちなみに矛盾という意味では、近代以後、歴史学がずいぶんのさばっていたが、近代の終わりにともない、その賞味期限も切れたのではないか、これからは太古のむかしよろしく、「ふつうの歴史」になるのではないかと思ってもいるが、これは誤謬なのかどうか不明なので、上の中には加えないでおく。


まあ歴史の目的とか、個人の価値観とかいうと、それはたしかに神学論争で、俺は思う!のオンパレードになってしまう。それに件の聖徳太子の件だって、偽作を主張する人の脳裏には、戦前強調されたものを否定すれば価値があるという錯覚があるのだろう。もちろんその種の人にとって、私にとっての錯覚が、まぎれもなき真実なのだろうけども、そういうあまり学問的とは言えないものがあるのは否定できない。

それにも関わらずああだこうだと二三回にわたって書いてきたのは、一つには上のような私個人の矛盾のはけくちに好都合だったからだ(と思う)。本来このようなものは個人で解決すべきものだが、幸か不幸か、私の意見はまわりの人に冷笑され、まともに批評を聞くこともできなかったから、かまってくれる人がいると、つい嬉しくなって長々語ったにすぎない。

ただ、もう一つ、少し「公的な」ものもないではなかった。明治以後、敗戦後しばらくの間の歴史学研究は、極端な思想偏向を持つ間違った成果を無視すれば、それなりに有効なものも多かった。特に伝統の盲目を否定するには預かって力があったことは否定できないと思う。例えば、伝説によると、周の天子さまが作ったという制度や文物が、もっとも古くからあったとか、あるいはその逆とか、そういうものは考古学的発見によって適切に批判できた。あるいは加藤さんの『考証』で止めろとは言わないが、論理的には証明不可でも、現実的には多くの人を是認せしめる程度の経済史を語るくらいなら、それはそれでおもしろくもあり、また有意義でもあると思う。

ところが最近の歴史は、どうも神学論争のようになっている。あるいはとても正当性があるとも思えぬ「根拠」を持ち出して、自分の主観にあわせた歴史を語ろうとする。もちろん語ってもらうのは結構だ。ご自由になさればよろしい。しかし、それがあたかも日本の歴史であり、したがって日本人たる私の歴史であるべきであるかのごとく押しつけられると、もともとの不満と相俟って、ついつい文句の五つ六つを言いたくなってくる。

そんなこんなで、誰も見ていないのをいいことに、ブログで文句を垂れているわけです。私の歳から言って、おそらく自分の立場をしっかりもって、そこから歴史を語っていくことは、もうできないと思う。このまま両方に足を付けたまま、命を終えるのだろうと。そして、いつの頃からか、私は中国でいうところの史部から経部に足を入れてしまったので、それほどに歴史に魅力を感じず、ただ「穴が見える」というところで満足してしまうのだとも思う。


ちなみに私は「あらゆるものに価値がない」というのを精神安定剤のように使っているところがあります。あらゆるものに価値がなく、したがって、あらゆるものは肯定される。この考えは、社会にもっとも有害である反面、表面的には無害に見える。そういうものではないかなと思っております。

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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