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小ネタ

言行録に畢士安が貧乏だったという話しがあった。この手の逸話はウソと相場が決まっているので、せせら笑って訳したものの、校正の段階で畢士安の神道碑と行状をもちよったところ、あんがいウソではないかもしれなかった。

そもそも北宋初期に生きた畢士安の行状を、なぜ孫の畢仲游が書いているのか、なぜ元祐時代の闘将・劉摯が神道碑を書いているのか、不思議ではある。しかしその答えは劉摯の神道碑にあった。なんでも畢士安が死んだときは、家が貧乏すぎて、神道碑を建てる金がなかった。でもぼちぼち銭もたまったから、あらためて孫が作ることにしたらしい。そこで劉摯も一肌脱ぐことになったとか。

劉摯によると、畢士安の時代は既に遠い過去のことだが、その偉業は世に知れ渡り、名言は人口に膾炙しており、国史伝記の類も完備しているから、いまからでも神道碑は書けるとか言って、あらためて書き上げたらしい。なるほど、畢士安が(他の宰相に比べて)貧乏だったのは、あるていど本当だったのかもしれない。もちろん全く嘘っぱちの可能性も充分あるが、文献に徴す限り、本当だったということになる。

だが劉摯の言い分の半分は間違っている。劉摯によれば、畢士安の業績はいろいろ残っているから、それをかき集めれば神道碑が書けるというようなことを言っているが、実際に劉摯の神道碑を畢仲游の行状と比べてみると、神道碑などは行状の節略に過ぎないことが、あまりにも明白に分かってしまう。あまりに露骨すぎるほど露骨に、節略だ。よくもまあ偉そうに自分が調べたようなことを言えたものだ。これだから宋代の詐欺師は困る。


つぎに欧陽修と錢惟演。

王曙の言行録の最後に、欧陽修は錢惟演が大好きだったとあった。王曙の言行録に、なぜ錢惟演と欧陽修の話が割り込まねばならぬのか、場違いも甚だしいが、とにかく王曙にはそれだけ取るに足る逸話がなかったのだろう。ちょい役でも載っけておかないと、頁が足らないというところだ。

それはともかく、錢惟演の諡は欧陽修の力で代えられた云々という話しは、あまりに宮中奥深い話しなので、調べても根拠は得られまい。しかし本当に錢惟演のために汗をかくようなことを、はたして欧陽修はしたのだろうか?宋代の士大夫は前代に比して恥知らずだと罵る人もいるくらいだから、これはそうとう疑ってかからねばならぬ。なにせ人間というものは、生きておればタカれもするが、死んでしまえばただの屍だ。

しかし欧陽修が錢惟演に思うところがあったというのは、あながちウソではないかもしれない。言行録の巻五の最後に蔡齊という人の言行録が載っている。蔡齊は王曾を小型化したような人で、どちらかと言えば堅物の真面目君だったらしい。その蔡齊の伝記資料には、幸いなことに、欧陽修の行状、范仲淹の墓誌銘、張方平の神道碑の三種が揃っている。ちなみに三種とも劉摯のような詐欺まがいの作文ではなく、それぞれ手が込んでいる。当然ではあるが、劉摯の手前、当たり前のことが立派に見える。

さて、この三種に『宋史』と『東都事略』の所伝を加えれば、ほぼ蔡齊の主要逸事を抑えることはできるのだが、その中に錢惟演に絡む逸話が存在する。

錢惟演は詩文の名手として名を馳せていたが、如何せん人間が下劣だった。出世したいがために、利用できる人間はだれでも利用した。人間的だといえば人間的で、その実、無意識にみな同じようなことをするのが人の常とはいえ、あまりに節操がなさ過ぎると、さすがに世間の顰蹙を買う。錢惟演は丁謂が権力を握るや、それにピッタリくっついて、寇準を批判し、寇準が失脚するや、在職者一覧を石碑に刻むとき、わざわざ寇準の名前を削って、「反逆者の寇準の名は記さぬ」などと豪語してみせた。もちろんこれらは寇準を忌む丁謂の心を得んがためであった。

ところがひとたび丁謂が失脚するや、私は全く関係ありませんとばかり、今度は丁謂を謗りはじめ、醜い自己弁護に走った。これには汚いことが綺麗に見える官界もどん引きだった。汚穢に塗れた蓄財家として名高い清潔な男・馮拯は、錢惟演に同じ臭いを感じたが、非常に嫌悪して、ついに中央政界から追い出してしまった。錢惟演のその後はどうでもいい。要するに錢惟演は「反逆者の寇準の名は記さぬ」などと言って、人の謗りをかったのだ。

さて、月日が経ち、蔡齊が皇帝に申し上げた。錢惟演はかくかくしかじかで寇準の名を削りましたが、もってのほか、世間のだれもが寇準の忠勇を信じ、国家の英雄とみなしております云々。ということで、皇帝はさっそく寇準の汚名を雪いだのだった。この蔡齊の行動は、いかにも名臣のものとして評価され、張方平の神道碑にも、『宋史』にも、『東都事略』にも記載されている(墓誌銘は美文のため事柄自体の記述が少なく、これも省略されている)。しかしそこそこの長さのある欧陽修の行状のみ、なぜかこの一件が削られている。その他、神道碑に見える錢惟演の悪行も、行状には触れられず、あたかも事実がなかったかのごとき書き方をしている。

欧陽修は文章の達人だから、あるいは行文に不都合を感じ、省略したのかも知れない。しかしあっぱれ天下の名臣となった蔡齊の所行をこうも無視するからには、なにかしら作意の跡を感じられないでもない。あるいは欧陽修は錢惟演のために悪事に蓋をしたのであろうか。だとすれば欧陽修の『新唐書』はその名に恥じるできであろう。なぜなら『新唐書』本紀は、春秋の筆法をまねて作ったのだから。そして春秋は、情をもってする詩とは異なり、義をもって事を裁くものだから。

以上、小ネタ二つでした。知っていても一銭の得にもならないこと請け合いだ。

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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