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見識はむつかしい

最近つかれぎみながら、いまさっき気付いたのでメモがてら書いておこう。............もしかしたら思い違いかも知れないが、いや、そんなことはないと思う。

1.例の名臣言行録は朱熹のみた資料の質によって大幅に質が変わる。
2.蘇轍は見識がない。

以上。


(1)
よく考えればあたりまえなのだ。粗雑な資料を用いて高級な伝記がかけるはずがない。しかも本人を知らないのだから。でもちょっと酷いんじゃないか?と思うのがあった。

巻4の連中は朱熹の手に墓誌銘やら行状やら、それにかわる伝記やらが残っていたと見えて、該当人物の条文を通覧すると、それなりにその人の生涯が分かった。あれに年月日をつけて、文字に修飾を施し、若干の訂正を加えれば、立派な正史の伝記になるだろう。しかし巻5の連中は......

特にひどいのが李迪で、朱熹は張方平の『楽全集』が読めなかったらしく(現存する)、まとまった生涯は語られず、たんなる有名なエピソード集になっている。その方が名臣言行録にふさわしいといえばそれまでだが、問題はそこで利用された資料だ。

いや、資料の種類も蘇轍の『別志』とか司馬光の『記聞』なのだが、どうもこの李迪の資料は雑で、『続資治通鑑長編』と比較すると間違いが多くて困る。記事内容に間違いが多すぎて、本文の読解以上に、事柄の考証に手間がかかってしまった。おかげで『記聞』も『別志』も朱熹先生も怪しいという結論になった。

(2)
でも言行録はたまに発見もあるし、それに言行録だから、人のいいところ(ウソでも)を見て、自分も立派になろうと思えば、それで罪はない。問題は蘇轍の見識のなさだ。

大昔、邵伯温の『聞見録』はつまらないと思ったものだ。ちょっと気の利いたような文句を最後に載せて、「俺は分かっているぜ」的な雰囲気を醸し出しているのが、たまらなく嫌だった。おまけに記事もいい加減とあっては、ほとんど読むに堪えない書物に見えた。

しかし今回、李迪の考証がてら蘇轍の『別志』をパラパラ読んでみたが、どうも蘇轍も同じ程度に底の浅い人間に思えてしまった。いや、蘇轍も彼自身の見てきた煕寧~元祐あたりのことはいい。「俺は見た!」と言われると、1000年近くあとの我々としては、なんとも決め手に欠く場合が多い。しかし真宗とか仁宗初期の話しは、もう、ウソが多くて。

こういうとお前が間違っているんじゃないか?と思う人もいるだろう。事実、そういうこともあるだろう。しかし学士や宰執の任免時期を間違えて、「ちょっといい話」とか「鋭そうな見識」を示されても、困る。

司馬光の『記聞』にも錯誤がまま見られるというが、あれは全体的に短い記事だから、致命傷にならない。個々の記事が間違っていた、という以上にならないことが多い。ところが蘇轍は、「Aという事件があって、Bというのが続いて、なんとCという展開になって、実はDだった」みたいな、そらぞらしい書き方をしているので、どれかの事柄が間違っていると、波状的に物語の全てに破綻をきたすことになる。

ちなみに私が蘇轍の浅さを感じたのは、下の太字の部分。

李文定與呂文靖同作相、李公直而踈、呂公巧而密。李公嘗有所規畫、呂公覺非其所能及、問人曰:「李門下、誰爲謀者」。對曰:「李無它客、其子柬之、慮事過其父也」。呂公因謂李公:「公子柬之、才可用也。當付以事任」。李公謙不敢當。呂公曰:「進用才能、此自夷簡事。公勿預知」。即奏除柬之兩浙提刑。李公父子、不悟也、皆喜受命。二公内既不協。李公於上前求去。上怪問其故。李奏曰:「老疾無堪夷簡公相謾欺具」。奏所以上。召呂面質之。時、燕王貴盛、嘗爲其門僧求官。二公共議許之。既而呂公遂在告、李公書奏與之、久之忘其實、反謂「呂獨私燕邸」。呂公以案牘奏上。李慚懼待罪、遂免去。
其後王沂公久在外、意求復用。宋宣獻爲參知政事、甚善呂公。爲沂公言曰:「孝先求復相、公能容之否」。呂公許諾。宣獻曰:「孝先於公、事契不淺、果許、則宜善待之、不如復古也」。呂公笑然之。宣獻曰:「公已位昭文、孝先至以集賢處之、可也」。呂公曰:「不然。吾雖少下之、何害」。遂奏言「王曾有意復入」。上許之。呂公復言:「願以首相處之」。上不可、許以亞相。乃使宣獻問其可否、沂公無所擇。既至、呂公專决事、不少讓、二公又不協。王公復於上前求去。上問所以、對如李公去意。固問之、乃曰:「夷簡政事、多以賄成。臣不能盡記。王博文自陳州入知開封府、所入三千緡」。上驚復召呂公、面詰之。呂公請付有司治之。乃以付御史中丞范諷、推治無之、王公乃請罪求去。蓋呂公族子昌齡、以不獲用為怨、時有言武臣王博古嘗納賂呂公者、昌齡誤以博文告、王不審、遂奏之。上大怒、逐王公鄆州、呂公亦以節鉞知許州、參知政事宋宣獻、蔡文忠、皆罷去。李王二公、雖以踈短去位、然天下至今以正人許之


引用は『言行録』から。ただし蘇轍の発言は間違いが多い。これは李もいうから本当なんだろう。そうそうこの文章、これだけでは最後の意味がさっぱり分からない。なぜ仁宗は王曾だけでなく呂夷簡にも怒ったのだろう?なぜ宋宣献が巻き添えを食らったのだろう?そもそも蔡文忠って誰?

蘇轍も偉い学者なんだから、もう少し真面目に文章を作って欲しい。

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