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賞味期限

ここ一ヶ月ほど暇さえあれば名臣言行録と付き合っていたので、たいがい嫌になってきた。畢士安のところで、これはもう今の時代には無理だなと分かったのに、ついつい伸ばしてしまった。でも巻五も王曾で最後だから(今回は逆から進めた)、これだけは終わらせようか。って、誰に言っているのやら。

言行録もそれなりにおもしろい本ではあるが、如何せん、読むためには前提となる知識が必要になる。でもふつうの人は、知識を得るために本を読むのに、その本を読むための知識を別に要求されたんでは堪ったものではない。ということは、そういう七面倒くさい本は当然ながら読まれず、したがって無価値な存在になっていく。

実際の所、言行録を読む人に要求されているのは、歴代皇帝とか、五代以前の有名な(知識人にとっての有名な)歴史的事実とか、科挙とか、そういう知識とともに、実は言行録に書いてある内容そのものなのだ。言行録に書かれてある内容を、読む前からあるていど知っている。それを前提に言行録を読む。やっぱり偉いね~となる。

本を読むのは新しい知識を得るためだが、その知識を手に入れるには、核心部分以外の大半のことはあらかじめ分かっていないと行けない。Aときた場合はB、Cと来るならDというふうに、読む前からパターンだの知識だのを持っていて、はじめて、それにも関わらず著者はWという方法を用いてZという結論を出した。はいはいご苦労さん、となるか、すんばらしーとなるかは知らないが、まあそういう驚きと呆れがあるのだろう。

宋代そのものが無名の日本で、宋代の膨大な知識を前提とする言行録が読まれないのも、無理はない。単純に昔は漢文教育の時間が多かったから、知っている人が多かったに過ぎない。その時間がなくなった今、いや、その時間を取るべきでなくなった今、言行録など読まれようはずがない。どれほど腕のいい人間が、すばらしく精度の高い注を加えても、大多数の人の目にはとまらないだろう。

とはいえ、PHP的な本なら売れるかというと、たぶんこれも無理だと思う。むかしPHPでも出版されたし、似たような本は他にもあったが、結局は読まれず消えていったのだから。さしもの言行録の価値も、賞味期限がずいぶん前に切れてしまったのだ。そこで理想とされる像そのものが、もはや現在の日本で否定される存在なのだ。よいか悪いかは別として。


余計なお世話を一つ書いておくと、宋代ころの理想というのは、改革や変化がないことだ。積極的な人事や、奇抜なビジネスももってのほか。そういうものを否定し、押さえつけ、根絶やしにして、相も変わらぬ平凡な生活がつづくこと、それが理想なのだ。もちろんそういう状況で不幸になる人は、永久に不幸になるのだが、それは知らない顔をしておく。そうしてこそ名臣たり得る。そして言うまでもなく、そういう理想はいままでかつて一度も存在しなかったし、当の宋代にもなかった。だから言行録に書いてあることを実践すれば(仮に宋代と同じ局面があったとしても)、絶対に失敗することは、歴史が証明している。

さらに蛇足。人間の努力ではどうにもならない悲しい現実を前にして、宋代には朱子学が生まれる。そしてよく言われるように、天道是非の論に決着をつける。別段、私は朱子学を推奨しないが、少なくとも権力を批判すれば理想的な世の中がやって来ると絵空事を夢想している人よりは、よほど深みのある思想には違いない。それが反動思想だというなら、積極的に反動思想を学びたいものだ。

以上。

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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