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なんとも題を決めかねる内容だな

ある場所で知ったが、邪馬台国の問題に日食を持ち出して研究している人がいるらしい............つまらないことに精を出す人間がいるな。私は優しくないから、まったく感心できないばかりか、時間の無駄遣いにしか見えなかった。そういうのがやりたければ趣味でやったらしい。気持ちは分からんでもないが、あまり偉ぶって言うものでもなかろうに。

日食などの自然現象は人間の意志でねじ曲げられないから、資料に出て来れば正しいように思う人もいるだろう。しかし必ずしもそうではない。たとい日食があったにせよ、それが資料に記述されるとき、あるいはその資料が歴史書としてまとめられたとき、途方もない間違いが加わることもある。事柄とて、必ずしも信頼できるものではない。

そういえば李迪の言行録に『邵氏聞見録』を引いて、次のような事柄を載せていた。

真宗が病に倒れ、もういよいよという、ある晩のこと、李迪ら宰相一同は、祈祷のため内殿に宿直していた。この当時、仁宗はまだ幼く、八大王・元儼(先代皇帝の息子)に威名があった。王は真宗の病気見舞いと称して禁中に留まり、何日たっても出ようとしなかった。宰執はこれに頭を悩ませたが、どうにもいい方法が浮かばなかった。たまたま王の世話役が湯水を容れた金の器を運んできた。「王のご所望です」と言う。そこで李迪は墨に濡れた筆で湯水をかき回し、真っ黒にしてから運ばせた。これを見た王は、毒ではないかと驚愕し、すぐさま馬に乗って宮中を後にした。李迪のふるまいは、いつもこのようだった。


李迪は科挙を首席で合格したほどの秀才だから、頭が悪いわけでは決してない。しかし正しいことと悪いことの区別がはっきりしており、それへの対処も直線的なのだ。だから王の振る舞いをみて、これはいかん!と思うや否や、あまり上品と言えない方法ではあるが、非常に有効な方法で、王を宮廷から追い出した。

ということで、これは李迪の剛直な性格を著す格好の逸話というので、朱熹も『言行録』に引いたのだろう。しかし、残念ながらこの話しは非常に怪しい。

真宗の崩御直前、李迪は丁謂に敗れ、左遷されている。したがって真宗が危篤のときに宰相一同とともに祈祷に赴くことなどあり得ない。そしてもう一つ、八大王の元儼がひそかに帝位を狙っていたかの如く中傷しているが、これも胡散臭いらしく、李の指摘によると、『仁宗実録』による限り、真宗崩御の少し前から元儼は体調を崩し、やむを得ず宮中の側に庵を結んでいたらしいのだ(乾興元年二月甲寅条)。

李迪はおろか、元儼まで根拠薄弱とあっては、いかにこの逸話が李迪の性格を語るものであっても、あまりに白々しい。

北宋だと『続資治通鑑長編』のような腕利き学者の資料が残っているから、重大事件の真偽は曲がりなりにも判断できる(場合が多い)。しかしそれが徽宗の時代や、南宋や、あるいは唐以前とあっては、真偽の判断に躊躇する場合が多い。世の中には、さも「正しいらしい」ような資料が残るからだ。そして、そういう資料が積み重なって列伝が出来ているかと思うと、なんとも嫌な感じだ。ましてや資料の極めて少ない古い時代であればなおさらだ。

ちなみに『邵氏聞見録』は、邵伯温なる男の書いたもので、その邵伯温は邵雍(邵康節)の息子。そして邵雍は北宋の五子(朱子学の先駆をなす「五人の君子」の謂)の一人だ。したがって朱子学系列の学者に好んで読まれ、また北宋の「事実」を語るとき、しばしば引用された。近代の学者にしてまだ引用するのだから、その影響は推して測るべきものがあるだろう。本書が虚偽を多く含む書物であることは、歴史の学者なら分かっていたのだが、そういうことは朱子学のような理学者の興味を引かなかったようだ。

しかしあれほど学者として腕のある朱熹先生が、なぜこのような嘘本を引用するのだろう。資料がないからか?資料がなければ嘘を引用してもいいのか?倉卒の間になったというが、それとて言い訳に過ぎない。李のような学者であれば、倉卒の間に成ったものでも、嘘を見抜いただろう。むしろ真偽判然としない場合は、引用を避けたか、引用しても脚注に落としただろう。

とはいえ、朱熹先生を責めるのも悪い気がする。このあたりが専門の違いではないかと思うからだ。朱熹にしても、嘘だと分かっていれば、引用しなかったはずだ。たとい格好の逸話でも、嘘は引用すべきでない。しかし朱熹の探求する先にあるのは義理だろう。それに対して李の探求するのは事柄そのものだ。

この両者はぎりぎりのところで差を生む。卑近な例をあげれば、同じだけの本を買える金を持っていた場合、朱子学者は朱子語類を買うが、史学者なら建炎以来繋年要録を買うだろう。別段、朱子学者が繋年要録を不要だとするのでも、史学者が朱子語類を敵視するのでもなく、要は自分にとって最も重要なものが違うから、優先順に差が出るのだ。しかしこの差は大きい。

人間は有限のなかを生きている。すべてのことに手を出せるわけではない。なにかを犠牲にしなければならない。やむを得ず犠牲にするのは、当然ながら自分の選ばなかった方になる。喜ばしいことではないが、仕方のないことだ。ということで、朱熹とすればその他諸々の自分に必要なものを勘案した結果、事柄の真偽が犠牲になったというのであろう。

ということで、上の話は単なる「怪しい」だけのことではあるが、やはり餅は餅屋なのだと改めて思った次第。ちょうどあれだな、呂祖謙の春秋学は、歴史としてはおもしろいが、経学としては全く駄目で、逆に張洽の春秋学は、経学(あるいは理学)としては見識あるが、歴史の考証がなってない、というのと同じだ。

話しがすごく脱線したが、最近『言行録』を読んでいて、あまりの考証ミスの多さにイラっときていたところ、新聞記事を読んだところ、なんとなく頭の中で一体化した。それだけです。


書き終わって振り返ると、やはり一体化していなかった。人間、思い込むと夢のようなことが起こるからね。いるのにいないとか、夢でよくあるね。

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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