スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

五代の枢密院

前から気になっているのだが、なぜ最高裁判所は最高裁判所という名前なのだろう?自分で「最高」とかいうのはどうだろうか?なぜその権威にふさわしい重々しい名前を選ばなかったのだろう。別に大審院がいいとは言わないが、「最高」というのは、却って安直な感じがする。

などと、どうでもいいことを考えていて、そういえば最高裁判所は「憲法の番人」と言われているらしいな、となり、「憲法の番人」といえば枢密院もそうだな、となり、さらに枢密院といえば、やはり軍事部門を掌握した組織だよな、という、どうしようもないくだらないノリでwikiを調べて遊んでみた。

すると中国の枢密院の項目に、次のような説明があった。

唐王朝の枢密院は、正確には「内枢密使」と呼ばれて宮中におかれ、宦官が任命される役職であった。これが宦官と軍隊の癒着を生んだとして批判され、唐を滅ぼした後梁の朱全忠(太祖)は、これを廃止して改めて政府に崇政院(すうせいいん)を設置し、士人を任命した。後唐が後梁を攻め滅ぼすと、唐の旧制の多くが復活したが、枢密使は復活させず、単に崇政院を「枢密院」と改称させてそのまま維持させた。(日本語版wikipedia。2010/04/03現在)



唐代の枢密院はそうだろうが、後唐以後の枢密院はどうだろうか?でも、なにかふまえているような感じもするし、日本ではこういう学説が通用しているのだろうか?

所詮日本の研究は「外国人の中国研究」に過ぎないので、本場の論文を調べる......などという面倒なことはせず、ネットで調べてみた。まあ、終わった考え方だが、おおかた予想通りの結果が得られた。典拠の書き方に少々問題もあるが、百度百科の枢密院の項目が一番まとまっているようだ。これに諸処の記述と手持ちの本の解説を併せると、以下のようになる。

枢密院の成立(正確には枢密使の設置)は、唐代の代宗皇帝の時代にさかのぼる。当時、枢密使というポストを二つ置いて、皇帝と宰相の間だ行き来する小間使い的な役割を与えていた。ところが、憲宗以後、宦官が神策軍(強敵にはめっぽう弱いが弱い奴にはめっぽう強い皇帝の親衛隊)の指揮権を握ったため、宦官の権力が飛躍的に増大し、これにともない同じく宦官の枢密使が政務の枢機に参画し出した。ここに神策軍の指揮官とならび、枢密使は権力の中心に躍り出た(四貴とよばれた)。この枢密使を支えるべく、唐代末期に、事務員を増やした枢密院なる組織が誕生した。

もっとも最初は都合良く宦官を動かしていた唐の皇帝だったが、あまりに宦官の力が強くなったので、その力を削ごうと、昭宗の時代に一般の官僚を枢密使に用いることもあった。しかしこの時期はもう皇帝権力自体が弱体化していたので、あまり意味はなく、そのまま朱全忠に滅ぼされた。

朱全忠の時代、wikiのとおり、枢密院は崇政院と改称され(別に枢密院を「廃止」したわけではない)、その長官(枢密使のこと)には士人が迎えられ、さらなる組織の拡充がはかられ、皇帝の側近集団として重要な役割を担った。その職務とするところも、単なる軍事武門ではなく、宰相府に匹敵する政務一般を掌握するもので、極めて巨大な権力を握った。

梁が滅び、後唐が成立すると、組織こそそのままだったが、名称は枢密院にもどされ、長官たる枢密使も宦官や文人ではなく、郭崇韜のような軍将が任命された。このため枢密院は軍事的な色彩を帯びるようになった......らしいのだが、五代における枢密院の性格は一様ではなかったらしく、枢密使には時に将軍が、時に文人が、時に宦官が、時に節度使までもが任命され、その権力も担当者の能力や皇帝の力量によって大きく変わった。ただ枢密院は後の宋代のように、単純な軍事組織ではなく、事実上宰相府に匹敵する組織であったことは変わらないらしい。なお枢密院は、石晉の時代に一時廃止されたが、すぐに復活した。

宋代の枢密院は、純軍事的な組織となり、宰相府と並んで二府とよばれ......以下はwikiの通りだと思う。もっとも枢密使に文官が任命されたから軍事力が弱くなったのかどうかは知らない。実際問題、武将が任命されたときもあったが、別段、宋の戦力はあがらなかったしね。

要するに、枢密院というのは、じょじょに宰相府に匹敵する権力をもった皇帝近辺の組織で、じょじょに戦争武門にも影響力を強く発揮しだし、最後に軍事組織になった。こんなところだと思う。だからwikiの解説は、それこそ中国語版のように「后梁,改枢密使为崇政使,任以士人,并设崇政院。后唐莊宗改崇政院为枢密院,崇政使为枢密使,与宰相分执朝政,偏重于军事」と簡単に書いておいた方が、むしろ正しい。

もっとも私は五代をよく知らないので、上のwikiも何か基づくところがあって書かれたのかも知れない。それに、いまさら枢密院の沿革や権力が分かっても、最高裁判所の名前の由来が分かるのと同程度に、どうでもいいはなしではある。

スポンサーサイト

テーマ : 読書メモ
ジャンル : 本・雑誌

コメントの投稿

非公開コメント

カレンダー
10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
プロフィール

awatan

Author:awatan
HN:江藤清通
かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

自営サイト
最近の記事
カテゴリー
リンク集
全記事表示

全ての記事を表示する

FC2カウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。