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読書感想

山崎闇斎の世界山崎闇斎の世界
(2006/07)
田尻 祐一郎

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田尻祐一郎氏の『山崎闇斎の世界』(ぺりかん社、2006年)を読んだ。2006年発刊だから、この手の分野としては、最近の出版物といってよいと思う。本書は一部の人間に人気があるらしく(Amazonのレビューではない。あちらも高いけど)、2年くらい前にぱらぱらページをめくったことはあったが、頭から通して読んだのは今回が初めて。

私はHNで実名の書物を批判する気はない。だから以下、すべて素人(研究職に就いていない人間)の感想文にすぎない。もちろん中傷誹謗や言いがかりにならないよう気をつけたが、もしかしたら語調が強すぎたかも知れない。改めて言うまでもないが、私は著者を中傷誹謗する気持ちなど全くない。そもそもそのような気持ちにさせる著書であれば、いちいち感想文など書かない。


本書は、もともと韓国の人にむけて書かれたものであったらしい。そのため日本の先行学説については、巻末に「参考文献」として掲げられたに止まる。本文を読むに、かなり先行学説に依拠しているようなので、その指摘がないのは残念ではあるが、これはもともとも出版目的からすれば、致し方ないことだろう。

次に本書執筆の姿勢

著者の独自の見解から闇斎を論断するのではなく、著者じしんが闇斎その人に肉薄して、闇斎に語らせるスタイルで論述したものらしい。俗に言う「史料に語らせる」という方法を、さらに思想研究で徹底したものといえる。言うまでもなく、この種のスタイルは、朱子学系統の研究にありふれたもので、著者の特殊な研究態度でもなんでもない。むしろ最もオーソドックスな研究方法といってもよい(*)。

あらかじめ言っておくと、私はこの種の研究方法を全面的に否定している。そもそも人間は他人に肉薄など出来るものではない。ましてやそれが故人であればなおさらだ。さらに闇斎に語らせるとはどういう意味であろう。

史料に語らせる方法は、大別して二つある。一つは文字どおり、史料を列挙して、史料と史料の隙間に、申し訳なさ程度に執筆者の接続詞と若干のコメントを附すやり方。もう一つは、史料を下敷きにして、それを解釈するような形で、延々と論述するやり方。両者混ざる場合もあるが、本書は後者の割合が高い。

私見によれば、これは全くの誤謬だ。史料など列挙したところで、なんの意味もない。それは史料が語っているのではなく、並んでいるだけだ。少なくとも執筆者の論旨を無視して史料を見る限り、私には、その種の論文の主旨を史料から読み取ることはできない。ましてや敷衍などは論外で、そんなものは執筆者の思い込み以外のなにものでもない。

本当に史料に語らせたいのなら、史料だをボンとおいておけばいい。史料自体が指定しない限り、別の史料を継ぎ足すことも許されない。要するに、史料だけというのが、本当に史料に語らせるということだ。それ以外は執筆者の思惑を史料でカモフラージュしただけだ。私などは、自分の主義主張を前面に出して、そういう向きから研究したと言ってもらった方がよほどすっきりする。もちろんこういうやり方をすれば、必ずとげが出るし、問題も起こすが、正直な分だけ分かりやすくて結構だ。

しかし、ものは考えようで、そういう史料に語らせるスタイルに価値を感じる人は、そういう方法の意義を力説するだろう。そしてそれはまた理屈の通ったものだろう。理屈なんてものはなんとでも言えるので、それはそれで構わない。要するに、私と研究方法について、正反対だというに止まる。したがって、そのような正反対のものが、本書を読んだということになる。


さて、本書は大まかに山崎闇斎の一生をなぞるかたちで、重要問題に触れていく。第一部は「闇斎の時代=闇斎の課題」と題して、第1章「正統と異端」(南学や闢異、陽明学批判など)、第2章「幕藩政治との関わり」(保科正之や幕府の位置づけ)が語られ、第二部に「自己中心性の克服=思想の展開」と題して、第1章に「「心」の確立」、第2章に「神道」、第3章に「「日本」」の問題が語られる。

正統観念の護持に美しさを感じ、愛国心に人間の当然を予想し、他者排撃を必然の善事と解し、心は無価値と断じ、思想と社会の関係は不問に付すべしと観念する私であるから、上に語られた多くの部分は、すでに問題の設定自体において私の価値観と抵触する。しかしそれはまあいい。

正直申し上げて、本書に指摘された事柄や解釈は、既に山崎闇斎の思想として知られた部分が多く、これといった斬新さはなかったように思う。闇斎と土佐南学との関係、闢異の重要性、保科正之との関わりや、幕藩体制の問題にしても、「闇斎に好意的に解釈した」という以上のものではない。私は著者を知らないので、どういう態度で研究したのか当然知らないが、このような読後感を受けた理由として考えられるのが、本書によって特に明らかにされた新事実がほとんどないからではないかと思う(全くないのかどうかは分からない)。

新事実の発見なしに新たな論文を書き、新たな主張をするとき、そこに現れるのは、新しい解釈の提示以外にあり得ない。そして新しい解釈の提示は、それ自体において、個人的なものだ。田尻氏がどのように闇斎を読もうと、あるいは闇斎が語りかけていると思おうと、それは自由だ。そしてその自由と同程度に、そう解釈しないことも自由でなければならない。したがって、本書に語られる闇斎は、田尻氏がこう読みたかったのだな、としか思いようがない。上に書いたように、田尻氏と私とは、おそらく日常生活や日常の価値観(の重要な点のいくつか)が異なっている。そのようなもともと異質な価値を持つ人間からすれば、読み方や説明の仕方など、わずかの差異でしかない。異なる価値を持つ人間を納得させられるのは、純然たる事柄だけだからだ(よほど極端な思想の持ち主でないかぎり、常識の範囲で史料を操作し、人の生卒年が明らかになれば、それを認めるのに吝かではないだろう)。

さて第2部。全般的に闇斎の思想を特徴を語っている。その核心部分は、おそらく第1章の「心」の確立ではないかと思う。私にも少し田尻氏の熱さが伝わったように感じた。しかし、申し訳ないが、この第1章は本書全体を通して最も気持ちの悪い部分だった。

なぜか。理由は簡単で、もはや闇斎の駆使した朱子学の概念そのものが過去のものだからだ。著者には山崎闇斎によって思想そのもの(一般的な意味での思想)を語る傾向があるようだが(古典体系が出来たなど)、そこで取り上げられる概念があまりに現実から離れ過ぎている。もはや現在の日本人の誰をも縛ることのない、理や身(朱子学やその関係としての概念)をもってこられて、思想の本質を語られても、そのような過去の語彙に現実性を感じるのは難しい。そこに意味を感じられるのは、朱子学の概念になじみの人々だろうが、そういう人が現実から極度に浮き上がった存在であることは、消滅寸前の日本の中国思想の現状を見れば一目瞭然だ。人から価値を感じられないから消滅するのだ。

もっと別の方面から申し上げれば、もし朱子学と闇斎との理や身の違いを論証するなら、もっと本格的に朱子学の基本概念から説明しなければならないだろう。しかるに第1章では、事柄を説明するのと同じように、なんとなく朱子学との違いを説明しているように見える(先行研究をふまえているためだと思うが)。事柄を理解するほどに概念は理解できないので、熱意は伝わる反面、もっとも理解が難しいものになっているように思えた。


本書を通読して思ったのは、入門書(概説書)なのか専門書なのか、その点が曖昧だということだ。本文に埋め込まれた引用文が原文のままであるなど、一部に(非専門家にとって)若干の読みにくさはあるにせよ、全体をとおして説明は明白で、原文の解釈も平易に書かれており、その点ではいかにも入門書や概説書、あるいは山崎闇斎の評伝という形式を思わせる。しかしその反面、概説書などにしては、基本的事実の説明が簡略に過ぎ、山崎闇斎をこれから知ろうという人間は、置いてけぼりを食らうのではないかと思う。

逆に専門的に、既に山崎闇斎について一定の知識のある人間からすれば、あまりにも基本的な事柄、中国思想や日本思想についての知識に紙数が費やされ過ぎている。もともと韓国で出版されたものであることを考えれば、日本の思想について詳述するのはやむを得ないが、それこそ堯や舜といった中国思想の知識は不要ではないかと思われた。なお論旨に関わらないので、どうでもいいところだが、中国人の記名方法が諱か号かで揺れている部分があったり、書物の排列が史書、経書(準経書)の順になっていたり(239頁の魏書、左氏伝)、少し気持ちの悪いところがあった。(*2)


次に、どうにも最後まで気になったのが、例の「史料に語らせる」スタイルで、そもそも著者じしんが「史料に語らせる、闇斎をして闇斎を語らせる――これが私の基本姿勢であるが、史料の選択・配列・解釈に込められた私なりの問題関心の在処は、普段の私の論文よりは、前面に出ているかもしれない。その限りでは、闇斎という人物の強烈な個性に、やや引きずられたのかもしれないが、それはそれでよいと思っている」(5頁)と言うにも関わらず、闇斎若年の史料僅少の部分は当然にして、闇斎の保科正之に対する感情を、「朱子学の生き生きとした姿を見ていたのかもしれない」(126頁)と言い、退渓の箴言を重んじた闇斎に対して、「闇斎は強い共感をもって何度も読み返したに相違ない」(194頁)と言うなど、史料から離れた推測が目に付いた。

また闇斎の主著『文会筆録』に対して、「『文会筆録』は、読書の折々に心に止ったものを抜萃して筆記したもので、闇斎自信の直接の発言(評語)は、それらの間だに短く挟まれるものの、量的には多いものではない。その貴重な発言の中に、こうある」(184頁)として、闇斎の按語を引用するが、これは史料に語らせるスタイルに反するのではないか。史料に語らせるスタイルとは、闇斎をして闇斎を語らせることならば、史料の性質に即さなければならない。それを「貴重な発言」として特殊な按語を引用するのは、あきらかに闇斎を離れた人間が、闇斎を理解するのに都合のいい史料を集めたことを意味するのではないか。

もし『文会筆録』を用いて史料に史料を語らせるなら、『文会筆録』の引用部分を列挙し、未引用部分を並べ、ここを引用してここを引用しなかったというような、とうてい読書に堪え得ない手法に依らざるを得ないだろう。しかしそうしてこそ『文会筆録』を用いる意味があるはずだと、私は思う。これは古今の注解を集めて、まま闇斎の按語を付したもの故に、「闇斎のまとまった思考を窺うことが困難」(225頁)とする『神代巻風葉集』にも当てはまる(『風葉集』については、著者も指摘するとおり、史料の性格以外の問題もある)。

そもそも「自己中心性の克服」という、自己中心性などを問題に据えたのは、本当に闇斎がそう語ったからだろうか。それとも著者が重要だと思ったからだろうか。それとも冥合したのだろうか。日本の君臣関係と中国との違いや幕府との関係など、人間個人の問題を離れる問題(要するに生きている人間が感じられない問題)を取り上げて、闇斎の特徴を理解しようともするが、本当にそれは史料に語らせているのか。史料に語らせる以上、当時の人間が感じられない問題は、論題として取り上げようがないのではないのか。著者をとりまく大きい価値判断が、研究以前に存在するのではないのか。どうにも私にはこの史料に語らせるというものの意味が分からなかった

その他、巻末の参考文献には尾藤正英『日本封建思想史研究』、阿部吉雄『日本朱子学と朝鮮』、丸山真男「闇斎学徒闇斎学派」、岡田武彦『山崎闇斎』、近藤敬吾『山崎闇斎の研究』(正続続々)、高島元洋『山崎闇斎』、谷省吾『垂加神道の成立と展開』、朴鴻圭『山崎闇斎の政治理念』についての短評がある。著者は史料に語らせるスタイルととる人だけに、特定の思想にコミットしないだけあって、見識ある批評が多かったように思う。ただ近藤氏の著書に「発せざる声を聞く」というような「証明ならざる証明によっているところが多い」(312頁)と批評されるが、これは必ずしも賛同できない。要するに、近代的な研究手法であるか否かの差で、もし徹底的に批判する気持ちで、近代的な「証明にふさわしい証明」を行った研究に立ち迎えば、おそらく主観だらけの「証明ならざる証明」だと批判することは容易だろう。こういう批判は、ちょうど私が史料に語らせるスタイルを批判するのと同じように、立場の相違以外の何者でもないように思われる。

以上、思わず長々書いてしまった。もともと著者には含むところなどなく、批判する必要もないが、どうも史料に語らせるスタイルを悪用している人間がいるので、思わずその点でかみついてしまった。最後に言うまでもなく、本書は従来の研究をよく汲み取って、極めて平易簡潔に、それでいて重要な点を落とさず説明していると思う。ただ分量の関係上、基本説明が簡略になりがちで、山崎闇斎の名前しか知らない人が本書を読むと、戸惑うのではないかと思う。もしそういう人が本書に興味をもったなら、あらかじめ辞典などで重要な点を抑えてから読むことをお勧めする。


(本文おわり)

(*)中国の独自性を追求するために積極的に利用された手法。理由は様々あるだろうが、その一つに、「中国の独自性を追究するんだ!」と発言することで、中国古典愛好家(この場合は研究者)が、「私は中国古典が好きだ、だから中国古典は価値があるに違いない」という考えのもと、現実には全く役に立たない中国古代思想を研究する大義名分を得る目的があったように思われる。もっとも言い分はそれぞれあるだろう。私にはそう見えたというだけだ。

(*2)いずれも論旨に関わらないので、単なる誤植だと思うが、せっかくなので気付いたところを二つほど。85頁に劉子澄を「朱子の門人」とするが、劉子澄は朱子の学友で、弟子に下ったことはない。また195頁に「朱子の門人である呉草廬の言葉に」とあるが、朱熹は1200年に死に、呉澄(草廬)は1249年に誕生したのだから、門人ではない(四伝の弟子)。退渓の言葉をふまえるようだから、原文に問題があったのかも知れないが、なにかコメントが欲しいと思った。なお次頁に「呉草廬は『道一編』を著して」とあるが、『道一編』は194頁に指摘のある程敏政(字は篁墩)の著書。

なお林家の『本朝綱目』を批判した闇斎の言葉を説明して、「春秋時代に林家があったなら「誅」を免れないだろうというのである」と説明されている(161頁)。原文が附されていないので、著者の依拠した『山崎闇斎全集』によると、ここの原文は「使林氏生於春秋之時、則豈免矣哉」なので、「春秋時代」ではあるのだろうが、春秋時代は王綱の弛緩した時代であり、文字どおり誅されたとは考えにくい。あるいは「春秋の時代に林家があったなら、孔子から筆誅されたに違いない」の意味であろうか。

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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