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成句

1.成句

働かざるもの云々とはいうものの、働いておればいいわけでもあるまい。働けば働くほど不利益を生み出す仕事だってあるだろうから。もっとも無為徒食は一種の才能だから、だれでもやりたくてできるものではない。私など、何もしていないと不安で不安で、それだけでストレスがたまる。だから今なんて精神が病みまくって大変だ。働いておれば安全、儲かる仕事なら大丈夫、ってわけでもなんでもないのは明々白々なんだけども。

2.好きな成句

ちなみに私の好きな成句は「千羊の皮は一狐の腋に如かず(平凡な人間がたくさんいても、一人の勝れた人間には及ばない)」で、子供の頃に知って、大いに感動した記憶がある。

私はむかしから「努力すれば偉い」「普通は立派だ」という考えの人間が嫌いだった。ただ、普通の人は、あるときハタと自分で自分を責めているのに気づき、優しい人間になるか、それとも欺瞞めいた人間になるのだろうが、私の場合は他人を責める目をもって自分をも責めたいと意固地に思うようになった。だから今の私が駄目なのも、それについて弁解する気はない。と同時に、他人様を批判的に見るのを止める気にも到底なれない。

人を批判する→同じ理由で自分も批判する→自分も批判するんだから他人も批判する、という悪い循環にはまっていると見える。

3.墨子

突然墨子を思い出した。理由は分からないが、大昔の素朴な思想を読みたいけど、論語は鬱陶しいので、同じく顕学の墨子にしたのだろう......か?でも原文で読むような冒険はやめて、おとなしく東洋文庫を借りて読むことにした。といっても、戦争と詭弁に付き合うほど時間がないので、順当に儒学批判とお墨様のみことばを読んでみた。長らく棄てられていた本だけのことはあって、議論が未熟すぎておもしろくない。なんというかね、孟子劣化版というか、論争相手は迫力で押し切れるかもしれないけど、第三者はムリだぜという感じ。でも、おもしろいところもあるので、明日いっぱいくらいはつきあってみようかな。

4.列子(楊朱篇限定)

小林さんの列子訳、孟子の訳と同じく、やたらと亀甲括弧が多様されている。それはいいのだけど、二つほど奇妙な訳文があった。誤訳というのではなく、中国語によくある、「Aはabc、Bはdef」という説明方法、なぜか「Aはabc、Bはd(改行)ef」となっていた。これでは正確に意味を取ろうとすればするほど、誤訳を誘発する。なぜこんな切り方をしたのだろう?文の長さかな?前の本田某を推す気は全くないが、ひとまとまりの流れを断つような改行はよくないと思う。

楊朱のお言葉(とされているもの、と言った方が正しいのかどうか知らない、というか、そもそもそんなことが分かるほど先秦時代の文献は残っていない)も、お墨先生と同じく素朴で感心しないものが多い。現代人の、しかもエエ歳しこいた人間が読むには、純真すぎるのだろ。でも、そこはお列様、泥臭い話しもあって、そこそこ楽しめた。

気が向けば引用する。

5.盗作

そういえば小林さんの孟子は、ある人の訳と類似点が多いのに、それを黙っているのはよろしくないとか、そういう意見があった。誰の議論でどこに書いてあるのか知ってはいるが、書きたくないし、人に勧める気もないので、書かないでおこう。

小林さんの孟子が本当にある人に似ているのかどうか、私は知らない。そもそも比べる気にもならない。だからその評論の真偽は分からない。もし本当なら宜しくはないだろうが、本当でないなら、とんでもない誹謗中傷だし、なにか理由があるなら(訳者同士で了解していたなど)、専門家の皮相な無知蒙昧さを露呈したことになる。

しかしここ数十年における現代人の常識としては、人の著作物を勝手に引用するのはよくないことになっている。いや、大昔でも、そういうことがあるていど通用した場合もある。経書の注釈にいちいち「某氏曰」とかあるのがそれだ。しかしね、これも考えようで、南宋から元代の資料によく見かけるのだけど、「某氏曰某氏曰」というのがある。後の某氏の著作を直に読めないものだから、それを引用した前の某氏の著書から後の某氏の学説を引用したという意味なのだが、こんなものは煩瑣に堪えない。

しかし元代あたりで、こういう書き方をする著作があったからといって、謹厳実直で、剽窃などあり得ないと考えるのはおめでたい。仔細に調べると、そういう「某氏曰」的書き方をする一方、だまって他人の注釈をごっそりそのままパクっているのもあるのだ。なぜ分かるかって?だって、パクられた方の解釈じしんに引用ミスがあったり、引用文を意図的に変えて(日本語で言う通釈)いるときがあるのだ。

しかし剽窃はいけない、などと嘯くのは現代人だけで、だからそれをもって現代人を批判するのは理にかなった行いだが、古代人を批判するのは的を外している。自分たちの価値観は古代まで通用するはずだ、だから自分たちの価値観と異なる作法をする古代人は劣っている、とは、あまりにおめでたい発想だ。

......三段とも「しかし」で始まっている。悪文の典型例だね。

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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