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カウントダウン

まさか墨子に一週間も時間を取られるとは。しかもまだ読み終わってないし。必至に読んだわけじゃない。訳文では意味不鮮明とて、原文を引っ張り出して確認してみただけだ。間詁はこうだけど、校注はこうなのね、とか。そういう余計なことをしていたら、案の定、通り過ぎる予定だった墨弁に引っかかって、公孫龍など荘子天下篇だの、まったく余計なものに手を伸ばしていた。どうせ分からないのだから無視すればいいのに、徒労を強いるのが私の悪いところだ。

前にも書いたが近ごろ論語を利用した自己主張本が目立つ。論語なんて大した本でもなかろうに、ありがたがって読む人間の気持ちが分からない。が、それはともかく、ああいう本をどういう気持ちで書いているのだろうか。おおむね金儲けだとか、その手の方面の話しのために書かれたように見えるが、そもそも論語でもなんでもいいが、あの手の本は基本的に金儲けのための金儲けは否定しているのに、それを用いて金儲けとは、商売が上手いというより、滑稽と言われてもしかたあるまい。

私見によれば、儒学の連中は、思い切って金儲けを否定したいが、そうすると種々の不都合が出るので、人間が生きるのに必要だから、ある程度しかたないんじゃね?という卑怯な態度を取っているだけだろ。本心で金儲けを否定したいなら、思い切って世の中の価値を全否定すべきだし、肯定したいなら、もっともっと実利的に、利益さえ出れば他はどうでもいい、世の中そんなもんだと言っておけばいいのだ。金儲拒否を表札に掲げておいて、裏口からコッソリ肯定してみても、思想に深みなんぞ増しやしませんぜ。

とはいえ、世の通例といえばそうだし、どうでもいいといえばどうでもいい話しではある。ただ一つ私が信じて已まないのは、借りものでは役に立つまいということくらいだろうか。


補足

もしかすると論語本は金儲けを度外視して、世のため人のために出しているのかもしれない。しかしそうだとすると、それは自己本来の目的を裏切ったことになる。あるいは先行投資だとすれば、結局は金儲け本となり論語本身と矛盾する。もともと論語じたいが矛盾しているとしても。要は論語は使えないし使う必要もないと、私は思っているだけだ。もちろんそう思わない人は思わないでいいと思う。人間はそんなものだ。価値の対立する人間は、片方が改心しないかぎり分かりあえないし、分かりあう必要もない。人生は戦いだというくらいだから。

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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